2024年渋幕中 社会② 日蓮と元寇: 日本の歴史の教訓

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これは合っているところを潰していけばよいですね。見ていきましょう。
1の御成敗式目です。北条義時は2代目ですね。御成敗式目は戦乱、権力闘争が終わった後のもう少し平和になった時代の3代目、北条泰時が作りました。日本独自の法概念が集約されており、徳川家康も御成敗式目を読み込んだと言われています。日本の倫理道徳、法概念の根本は御成敗式目にありそうですね。

日蓮南無妙法蓮華経と唱えました。正解ですね。
 それ以前にはやっていた浄土宗は南無阿弥陀仏と唱えます。
 なんで日蓮が出てきたんですかね。なら平安の仏教は貴族と国家のための仏教でした。真言は世界に冠小紙現実を変える力があると考えられていました。これに対して大衆はずっとほったらかしでした。そのための救いとして浄土宗が流行りました。これは「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも浄土へいける、という念仏仏教でした。これはこれで大衆を救ったのですが、誰でもなんでも救えるということで堕落を生みました。日蓮はこの辺りに対抗して法華経を最高として1つに絞りました。日蓮は元寇を予言したり信仰を集めました。なんか一神教的な特徴がありますが特に関係は見られません。末法思想、救済思想が強いですが厳しめです。彼が生まれた安房、千葉南端は黒潮文化圏の最南端です。日本は大陸影響が強いように思われますが、東南アジアからの南方黒潮文化の流れもあります。薩摩、日向、土佐、紀伊、駿河、安房、上総にはこの別の情報の流れがあります。16世紀南貿易などの流れはこうした地域の方が情報が早かったです。日蓮は之とも別に蝦夷、アイヌとの北方遊牧民族系からの情報網も得ていたと考えられます。予言ではなく、海外情報のキャッチアップが早かった、と言えます。今もこうして予言すると「世の平和を乱した!」として悪人にされますね。いつの時代も同じです。

3元寇の名前ですね。文禄の役ではなく、1回目は文永の役、2回目は弘安の役です。元寇って本当にヤバい国難でした。戦う決断をしたのは北条時宗。この時16歳です。今なら高校生ですが、戦う決意をしました。。。凄まじいですね。
北条時宗の師匠が南宋の中国人。臨済宗の無学祖元でした。彼もまた大陸にいた時にモンゴル軍に虐殺され、流れ着いて日本に来ていました。建長寺の5世、円覚寺の開祖となっています。彼は臨刃偈(りんじげ)を読み、元軍を引きさがらせました。

乾坤(けんこん)孤筇(こきょう)を卓(た)つるも地なし
喜び得たり、人空(ひとくう)にして、法もまた空なることを
珍重す、大元三尺の剣
電光、影裏に春風を斬らん

いわゆる「禅問答」ですが、同じ禅宗でも臨済宗の得意技です。悟りを開くために政治決断や社会の真理に対して問答を仕掛けます。逆に曹洞宗は現実社会から遠ざかります。「意味が分からない」ものの代名詞のような禅問答ですが、それで北条時宗が高校生で大悟を開いたことで元寇を退けられたのでした。神風ではないですね。かなりきっちり戦った成果です。(馬を使えなくして、うんこ爆弾とか目に染みる攻撃)


4徳政令は元寇で疲弊した武家に対しての借金帳消し政策です。
 結果として新しく借金ができなくなり武士の困窮は解決しませんでした。

 徳政令、外国人が購入した土地の接種など別の形で現代もやってほしいですね。それでFDI(海外直接投資)が落ちたとしても指標を変えていけばいいように思います。大学で経済学を学んだ時に研究してください笑