2019年開成中学校社会より 豊臣秀吉⑤ キリシタン大名の所業
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
さてさて。戦国時代はグローバル。
中国大陸、西洋とも交流が始まりました。西洋人は東南アジア経由。
次第に世界が繋がってきている時代です。
この時代、リーダー達はどのように判断していったのでしょうか。
■伴天連(ばてれん)への対応
日本人にとっては西欧人と急に多く接するようになった室町~戦国時代。やって来たのは宣教師と貿易商人でした。そして彼らの後ろには提督が控えている場合もありました。
この頃は職業なんて明確に分離していなくて、貿易も相手が弱ければ収奪、強ければ交易、というのが基本でした。
新し物好きの織田信長。彼の方針は商業主義であり、経済が活発化すること、新しい技術が入ってくること、そして何より鉄砲という新しい武器に関心があり、西洋人の交易を目的として布教も認めます。
こうして日本にはイエズス会、フランシスコ会、ドミニコ会など様々な勢力が入り込んできたのでした。戦国時代はイメージよりもはるかにグローバルだと思います。九州、中国地方、そして堺。
こうしたエリアは協会が立ち、布教が広まっていきました。キリシタン大名というのもいましたが、主に九州の大名が帰依していきました。
「デウス様の加護の在らんことを!」
とか言いながら戦っていたかもしれません。が、毘沙門天でもなんでも同じですね。
宣教師の目的は何だったんでしょう?先の貿易を見ると、日本は世界でかなり最強の部類であり、めちゃくちゃ豊かな国だったことが分かります。日本とメキシコの銀だけで、世界の通貨に変革を起こしています。
もう、黄金の国ジパング!!
貿易しているだけでめっちゃ儲かります。
そんなところに来て、産地とか市場とか貿易港とか支配できたら大儲けですね。
これには明確な史料が出てきています。
イエズス会のアジア拠点はマカオでした。マカオからアジア各地へと宣教師が出向いていき、マカオへ様々な情報が集められていました。
日本に出向いた宣教師の手紙が残っていますが、内容を読むと、
「日本人は海外から来た希少なものを好むので、一度に大量に運ばず、何回も往復した方が高値で売れる」
などの記載があります。
宣教師は先兵と送り込まれ、現地情報を本国に有利にするために報告するビジネスマンであり、布教して手懐けきったら軍隊を派遣して支配する。その後も同じですが、植民地の先兵でした。
この仕組みに気付かなかったアジア、アフリカの国々はガンガン植民地化していきます。
さて、ようやく秀吉登場です!
■ぶっちゃけ国難。ヤバいぜキリシタン大名!
秀吉は基本的には自由貿易派。南蛮貿易の利益が上がる限りは大歓迎でした。
しかし九州征伐あたりから考え方を大きく改めます。
いろいろヤバかったんです。
九州のキリシタン大名、支配されすぎてました!!
何があったのか?
①長崎が勝手にイエズス会に寄進されている
一時的とはいえ、長崎の土地を大村純忠(おおむらすみただ)という大名がイエズス会に寄進していたんです。結構ヤバいですね。
秀吉が止めなかったら長崎は日本ではなくなっていました。
マカオに行ったことがある人はわかると思いますが、陸に向けて大砲が築かれます。外から軍勢が入り込んで港を制圧するんですね。一度城ができると相当厄介です。長崎は入り組んだ地形で船でも陸地でも隠れるところはたくさんあります。こうなると徐々に徐々に侵略してくることでしょう。
なんか最近あの辺世界遺産に登録されましたが、どういう意図でしょうね。。
あれ?江戸時代になって同じく長崎の島原で16歳の少年だった天草四郎が反乱を起こしていたけど、刀狩りも終わったあとに、いったいどうやって大量の武器弾薬が手に入ったんだろう。。。事実を調べてみたいところです。
②火薬1樽に対して女性50人交換
当時日本は鉄砲は作れても火薬が作れませんでした。そのため西洋人から買う以外に方法がなかったんです。
西洋人はそれに対し、交易品として奴隷を求めました。
不思議ですね。珍しい民族として高値で売れたのでしょうか。ひどい話です。
ちなみにこの時代の南米アルゼンチンの法廷で、「ミスターハポン」の記録が残っています。ハポン=日本人という意味なので「日本人さん」としか記録がなく、名前は残っていないのですが、
「私は奴隷になる筋合いはないから、この金で私の身分を解放しろ!」
と法廷で自由を勝ち取った日本人がいたことが分かっています。
南米まで行っていたんですね。売り飛ばされて…
負のグローバリゼーションです。
日本の戦国時代を見ていると、宣教師に対する迫害とか残酷だ、みたいな話が大半かと思います。しかし、彼らが何をしてきたかを知れば知るほどフェアではないなと思います。
九州では布教でクリスチャンになった住民が、突然お寺や神社を襲い焼き払い始めました。先祖代々の墓が破壊され始めます。僧侶が迫害されます。住んでいる人からするとかなりクレイジー。
迫害ダメ、とか教えているのに迫害を始めているのは大体キリスト教徒。アフリカ人もアジア人もアメリカインディアンも、もともと住んでいた土地から追い出されます。
そんなこんなを見てきたから、豊臣秀吉は1587年キリシタン禁教令を発布しました。宣教師達には追放命令です。
いよいよ警戒心が危機感へと変わっていったんですね。
しかしもともと南蛮貿易の実利を得ていた秀吉はそこまで大規模な迫害はしませんでした。結構目をつぶっていたんです。
ある事件が起きるまでは…
続く。
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