2019年開成中学校社会より 豊臣秀吉⑥ ヤバいぜスペイン人!!
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
戦国時代からヨーロッパ、アジアと旅しましょう。
今日は秀吉の政策の続きから。
いや~キリスト教宣教師。差し引いて見ても危険な奴らです。
ちょっと寄り道して、スペイン人が世界でどれだけヤバかったのか見てみましょう。
■ヤバいぜスペイン人!
この頃はスペイン帝国、ヨーロッパで最強国家となっています。
ハプスブルク家がスペイン帝国とくっつき、フェリペ二世が統治しました。「太陽の沈まない国」と呼ばれ、無敵艦隊を主軸に強大な覇権国家となります。
フィリピンの国名もフェリペから来ていますね。
スペイン人は現在のメキシコ(ノヴァエスパニア)、カリブ諸島、北米を支配し、南米大陸ではアステカ帝国、インカ帝国などを滅ぼし、大量の奴隷を扱い、プランテーションを経営し、砂糖やコーヒーなどの商品を作って世界中で交易をしていました。
この頃の記録として
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス著
『インカの反乱』ティトゥ・クシ・ユバンギ著
という南米で起きた事の記録本があるので、大人になってから読んでみてください。インカ帝国、アステカ帝国が滅びたときの記録です。
圧倒的残虐性に涙涙の物語です。。。
でもこんな悲惨なことが起こる可能性があったのか、世界ではあったのか、ということを考えると、秀吉、のちの家康の政策には感謝しかありません。
そんなこんなの世界覇権。日本にもこの波が押し寄せるのですが、時は戦国時代。国内統治だけでも大変なのに、海外からもこんなに大変な時代だったんですね。当時の日本が世界最強の軍事大国でよかった。
さて、布教させてくださいと入り込んでくる宣教師達に、
秀吉がブチ切れたのは理由があります。
■日本人奴隷の輸出
秀吉が戦争している間にいろいろ見ているんですが、
宣教師が布教した後に、ちょいちょい日本人が奴隷として売り飛ばされて行っていたんです。
「人生つらいよね。私達と船に乗って海の向こうに行きましょう!あちらには楽園がありますよ。さあ!」
と宣教師に言われて船に乗ったが最後、東南アジアで奴隷として売り飛ばされるのでした。
遣欧使節団などの公式な船での渡航の記録もあるのですが、海外でも日本人奴隷がいることを見ています。
それでも秀吉は南蛮貿易の実利を取っていた。
今ではとても許容できることではないのですが、当時の感覚で見てみると、戦国時代で負けた国の領民が奴隷にされる、ということは日本国内でもある程度ありました。
そう考えると海外に売られても当たり前、、、ではないのですが、戦争で死ぬよりまだましだったのかもしれません。
しかし次の事件でいよいよ「こいつらやべ~よ!」という事が発覚しました。
1596年、サン=フェリペ号事件です。
土佐、今の高知県にスペインのガレオン船が漂着しました。
この段階ですでに秀吉はかなり警戒していて征服意図があるだろうと考えていたのですが、これに抗った船員(デ・オランディア航海長)が世界地図を示して日本がどれだけ小さくて、スペインがどれだけ偉大かを主張し始めました。
この、「なぜスペインがかくも広大な領土を持つに至ったか」という発言がヤバかったんです。
簡単にいうと、
「スペイン国王は宣教師を世界中に派遣し、布教とともに征服を事業としている。それはまず、その土地の民を教化し、そのあとにその信徒を内応させ、兵力を送り込んで呑み込んでしまうのだ!」
ということを語ったわけです。
さすがに南蛮貿易で利益が出てるからちょっとは目を瞑ろう、と思っていた秀吉、さすがにブチ切れました。
これをきっかけに京都や大阪にいたフランシスコ会の宣教師、日本人信徒がとらえられ、長崎に送られ処刑されました。
彼らは日本二十六聖人と呼ばれましたが、その後フランシスコ会では「聖人になりたいなら日本へ」と言われたそうです。
なぜならすぐ処刑されちゃうから。。。
秀吉の処置は残酷だったのでしょうか?
受難の歴史として長崎と島々の歴史遺産が登録されましたが、上記経緯とセットでないと話がつながりません。
その後の世界の歴史では、大体同じ手口でインドは植民地、清朝も半植民地、東南アジアもアフリカもほとんど全土植民地。独立していたのはタイと日本だけ。この状況を見るだけでも、秀吉のおかげで今の私達があるといえそうです。
守ってくれてありがとう、秀吉!!
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