2019年開成中学校社会より 豊臣秀吉⑧ フィリピンも攻めるぞ!

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
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秀吉起点ですが、今日はフィリピンから東南アジア方面に行ってみましょう!

■ビビるフィリピン総督ダスマリナス
秀吉は朝鮮出兵もしていますが、その前年の1591年にはゴアのインド副王(ポルトガル)とマニラのフィリピン総督(スペイン)にも降伏勧告状を突き付けて恫喝しています。特にフィリピンに関しては、3度も降伏勧告状を送っています。

日本を狙うスペイン・ポルトガルに対して警戒するどころか、
「これ以上アジアに入ってくるなら滅ぼすぞ!」
くらいの勢いです。

秀吉がフィリピン総督に対して出した第一回目の降伏勧告状では、
「早々に降伏して朝貢しろ。ぐずぐずしていたら必ず征伐する。後悔するな」と恫喝しています。

当時鉄砲がなかったアジアでは少数の軍隊が入れば支配できました。しかし日本はあっという間に世界最大の鉄砲保有国になったため、そう簡単に勝てる相手ではありません。フィリピンのルソン太守のダスマリナスは、秀吉の恫喝に対して400名程度の兵士で勝てるとは思えなかったため、日本の施設を歓待し、使者を送ってなんとか戦闘を避けようとします。

『西班牙(スペイン)古文書を通じて見たる日本と比律賓(フィリピン)』奈良静馬著

という本が戦前の昭和17年に出ているのですが、このタイミングで出していることを見ると、第二次世界大戦もあくまで戦国時代の延長線上として認識していたのでしょう。

ダスマリナスはフィリピン在住の日本人に対して強いの警戒心を持ち、武器を取り上げ特定場所に移動させています。
山田長政が住んだシャム(タイ)の日本人町は有名ですが、この時代から相当の日本人が東南アジアに住んでいたのですね。

ちょっと前まで外国語が苦手で村人気質、島国気質と言われましたが、日本人は昔から相当海外に出ていく志向があります笑
世界中どこにでもいるのが日本人、と言われています笑

内需が中心か、外との交流で知識、技術を入れるのが優先かという時代の流れによって変わったのだと思います。


■火器に長けた忍者集団、雑賀衆(さいかしゅう)
 フィリピン総督にも相当なプレッシャーを与えましたが、秀吉の行為は敵を作る行為でもありました。
 国内でも同じことがありました。
 信長の比叡山焼き討ちを契機に、信仰が厚い民衆は決起します。
 信長は新しい改革を打ち出した一方、そのビジョンを追求すると摩擦が起きます。(イノベーションの時に発生することと同じですね)
 既得権益を持っていた僧侶が別の形態に、武士も解体される予定です。

 いずれは解体されるかもしれない。そんな中で、活躍したのが雑賀衆です。雑賀衆は伊賀、甲賀のような忍者の一種ですが、その武器が火器に特化していました。伝来して間もなくなはずなのに、量産化とともに使用可能になっている。
 これは先見性の明があり早くから鉄砲の活用術を学んでいた事、対応方法なども研究していたことが読み取れます。もともと雑賀衆は仏教信仰に厚く、比叡山にもついていました。信長が敵対していたといえますが、この時秀吉も攻撃していました。

 朝鮮出兵の際に、秀吉と敵対するために、李氏朝鮮側についたといわれています。沙也加と名前を変えて朝鮮に残ったとされています。本当かどうかわかりませんが、秀吉の日本統一に抵抗して、海外に出たのかもしれませんね。
 ちなみに朝鮮出兵の時に、朝鮮人になった日本人というのは割といます。これは積極的にというより、はぐれて捕まってしまったり、投降した結果です。こうした残留日本兵は、今度は対明の侵略に対して前線でぶつけられるので、どうあっても生き残るのは大変ですね。

戦国時代

Posted by rekitabipapa