2019年桜蔭中学校社会①より 江戸時代の海外① 世界情勢

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

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問17 下線部⑳に関連して、江戸時代の外国との関係について、内容に誤りがある文を次のあ~えから1つ選び、記号で答えなさい。

あ 徳川家康は日本船の海外渡航に際して朱印状を与えるなど積極的に貿易を進めたため、ルソンやカンボジア、シャムなどには日本人町が作られた。

い 徳川家康はポルトガル船の来航を禁じた後、オランダ商館を出島に移し、オランダとの交易を認めた。

う 幕府は、オランダ商館長が毎年のように提出していたオランダ風説書により、外国の情報を得ていた

え 江戸時代には、ペリーが来航するまで、オランダと琉球以外に正式な国交を結んだ国はなかった。

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いや~中学受験の問題、難しいですね!大人が取り組んでも間違える問題出てきますよ。
でも、ちゃんと歴史的な背景を知っていればわかる問題も多いです。
歴史は単純暗記ではありません。物語があります。

今日ははじめに江戸時代成立前後の世界の背景を見てみましょう。

■1600年代の時代背景
 戦国時代もすでに始まっていましたが、1492年コロンブスの新大陸発見(発見される前から昔からありましたが笑)を皮切りに、スペイン、ポルトガルの大航海時代が始まりました。

ここから徐々にヨーロッパが蓄財を始めます。ちなみに世界のどこが繁栄していたか、を考えると、ヨーロッパが急速に発展したのは1800年代の産業革命以降です。それまでは中国が圧倒的に世界一でした。

産業革命自体を起こす上で、前段階で重要なことがあります。
それはある程度の資本の蓄積、工業化(自動化)に至る前の家内制手工業などがないと、移行できないのです。

この前段階の資本の蓄積について、西欧諸国は貿易によって実現していきます。

戦国時代の間はスペイン・ポルトガルの全盛期でした。海軍も強い。ローマ法王のカソリック勢力も強かった。

しかし欧州では1500年代に次の事が起こります。

マルティン・ルター宗教改革
  ・免罪符への批判
  ・新興宗教の発生(プロテスタント)

 ルターはまじめなカソリックだったのですが、まじめすぎて当時の免罪符というものに抵抗しました。免罪符贖宥状とも呼ばれており、買うと罪が許される、というものでした。
 そんなことある?と思うのですが、教会の権威を持って保証していたわけです。当時ドイツは1人の皇帝が統一したのではなく、七選帝侯という王様がそれぞれの土地を統治していました。選帝侯の候は侯爵という地位ではなく諸侯という意味なので、実際は王・公・宮中伯爵・辺境伯・大司教も含まれていました。

そして皇帝に就任するためには、
ケルン大司教、マインツ大司教、トリーア大司教、ライン宮中伯
の賛同がないと就任できませんでした。
教会の権威、すごいですね。皇帝決定権まであるのです。

もともと懺悔する(罪を告白したら許される)なんてこともしていたので、教会は王様から一般人まで秘密を握っているんですね。他の人にばらすぞ!と言ったらなんとでもできます笑

ローマ帝国で国教となってから中世に至るまでキリスト教が支持されていた理由は、真面目だったからです。禁欲的生活をし続ける僧侶がかっこよかったからです。しかしこの時代には司教レベルで真面目さが失われていました。

そんなこんなで王様はカネが必要。
教会も支持しようとして免罪符をばらまくのです。
「お金がチャリンとなると魂が天国に飛び上がる」
なんて言われていました。

すごい拝金主義。
そんなわけあるかい!!
と思うのですが、まじめに戦ったのがマルティン・ルター
彼がカソリックから離反し、プロテスタント(新教)を作ります。

この頃活版印刷ができるようになります。
世界で一番読まれたのは新約聖書と言われますが、ルターの思想が爆発的に広まりました。

ここからオランダは新教の国として独立、イギリスも別の物ですがヘンリ8世が浮気でカソリックから破門されたためイギリス国教を作ります。
(一応イギリス王家をフォローしておくと、イギリス王室として強力な男子の世継ぎが欲しかったのですができず、6回結婚離婚を繰り返した結果カトリックとしてどうなの?と問題化しました)

オランダは欧州交易で莫大な利益を上げ、海洋国家の新興国として世界覇権を握り始めました。スペイン・ポルトガルの次にオランダが台頭し始めました。
アメリカのニューヨーク。一番最初の名前はニューアムステルダムです。
オランダが作った街ですね。
オランダが東インド会社を作り世界貿易を展開するのですが、世界交易の覇権を握ります。
そしてイギリスもまた徐々に海洋帝国として力をつけ始めるころでした。

さてさて、欧州ではそんなことが起きていたのですが、1500年代でカソリックからプロテスタント国家にシフトしていくのです。

1623年アンボイナ事件では、オランダがイギリスに負け、アジアの海域でもイギリスが覇権を握ってくるのでした。

こうして戦国時代にはスペイン・ポルトガル=カソリック勢力が強かったのに対して、1588年アルマダ海戦でイギリスがスペインに勝ったことで状況が逆転。
戦国末期、江戸初期には、オランダ・イギリス=新教国が強まっていったのでした。

この辺り、徳川家康は欧州事情が分かっていたのですね。

イギリス人のウィリアム・アダムズ、日本名三浦按針(みうらあんじん)もイギリス人で家康の政治顧問をしていましたが、家康の情報収集能力と情勢把握力、ハンパなくないですか?!

今なら火星の状況を把握しながら日本の統治を考えるようなものです。
中国、アメリカはやっていますね。

蛇足ながら家康と付き合っていたオランダ人のヤン・ヨーステン。
彼の名前が東京駅の八重洲(やえす)の由来になっています。

江戸時代

Posted by rekitabipapa