2019年桜蔭中学校社会①より 江戸と海外⑥ 幕末編
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
幕末は歴史がありすぎて短くできないですね。
いろんな角度から見てみましょう。
西郷隆盛が戦端を開くことに成功し、幕府軍は戦わざるを得なくなります。
裏では武器を供給しまくっている欧米の影がちらちら。
これってインドとか中国で起こっていたことと同じなんです。
近隣諸国で紛争を起こさせ、憎しみの火種を蒔く。そこに武器を供給する。敵側にも供給する。そうすると何でも売れる状態になりますね。
武器でも食料でも薬でも包帯でも。
最後にはフランスの裏にもイギリスがいることに気づき、支援しているふりして日本だけ踊らされている、ということに気づいた15代将軍徳川慶喜。戦うことをやめるんです。
それで降伏するんですが、国内内情としてはそれだけでは収まりがつかない。敗軍の将は基本打ち首です。
戦えば勝てるかもしれないのに、自分自身は死ぬ覚悟で、日本全体が死ぬようなことは起こさせない。
徳川慶喜、|漢≪おとこ≫ですね。
これがリーダーの決断ではないでしょうか。
まだ戦えるのに、負ける決断をするのはとても辛いです。負ければ仲間が酷い目に遭う。追い込まれていく。財産も奪われ困窮する。
今までの地位も無くなる。
この時代、下手をしたら、下手しなくても殺される。そんな状況になることを決断しなければならない。日本のもう半分は生き残らせ、全体を殺さないために。
この視座が見える人は当時も今もごく僅かではないでしょうか。リーダーだけが見える世界です。
鳥羽伏見の戦いで負け、卑怯者、弱虫と罵られ、今も決して高い評価とは言えない徳川慶喜公。
どのような心境だったでしょうか。
■|彰義隊≪しょうぎたい≫
負けてしまった徳川幕府。しかしなんとか徳川慶喜を助命できないか。こうして立ち上がったのが彰義隊でした。幕府側にもたくさん志士がいたんですよ。だってさっきの薩摩藩邸みたいな傍若無人の魑魅魍魎の世界が新政府によって作られるなら、死んでも戦おうという気になりますよね。
2021年大河ドラマ『青天を衝け』で今やっていますが、幕臣渋沢成一郎など多くの有志が彰義隊に集まってきました。
試験ででそうですね笑
上野戦争が始まりましたが、彰義隊も含めて、新政府軍のアームストロング砲などの強力な武器に負けてしまします。
ここから幕府軍の転戦、北海道函館まで至る戊辰戦争が繰り広げられます。
戊辰戦争は日本最大のCivil War、内戦と呼ばれています。
■江戸無血開城?の前の駿河での会談
さて、西郷さんが江戸に入る前の事。
江戸を火の海にしてほしくない、ということで幕府側からも交渉します。
その矢面に立ったのは勝海舟。
西郷隆盛と勝海舟の対談によって江戸無血開城が成り立ました。
というのが教科書的な物語です。
でも本当はその前手で西郷さんと会談した人物がいました。
それは山岡鉄舟。
彼は生粋の武人です。政治色がない。
当時幕末の三舟と呼ばれていました。
勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟。
高橋泥舟も槍術の使い手でした。徳川慶喜は当初徳川家処分のために交渉の使者として選んだのが高橋泥舟でした。
しかし泥舟は江戸情勢が不安な中、徳川慶喜から離れることを拒否。代わりに推薦したのが山岡鉄舟です。
かれは静岡県の駿府で江戸に着くより前に西郷隆盛と会談を持ちます。徳川慶喜からの正式な使者として交渉。
江戸無血開城の立役者となりました。
あれあれ??
勝海舟は?
徳川慶喜の直接のメッセージも受け取っておらず何を決定したの?
明治政府になってから維新の功績記録を調査しましたが、大半勝海舟がやったかのように書かれていたそうです。山岡鉄舟は勝のメンツをつぶすと思い何も語らなかったそうですが、岩倉具視が事実は後世に残すべきとして記録しています。
西郷隆盛からは、
「金もいらぬ。名誉もいらぬ。命もいらぬという人物は始末に困るが、
そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」
と評されました。
事実上、山岡鉄舟との会談で直接的に徳川慶喜公の名代として西郷さんと対談し、そこでほぼ全てどうするかを決めたのでしょう。
西郷さんは徳川慶喜の身柄引渡しを要求しましたが、そこは断り、守り切りました。
彼はその後明治天皇の教育係になっています。
数々の功績を出しながらも評価を受けず、徳川家の名刀「武藤正宗」などを譲り受け一刀正伝無刀流を開きました。
最後は皇居に向かって|結跏趺坐≪けっかふざ≫のまま絶命。
最後の最後まで壮絶な武人でした。
彼の生き様は
剣・禅・書。
明治に生きた隠れた侍です。
|漢≪おとこ≫ですね。
ちなみに彼がいたお寺は要チェックです。
龍澤寺。
江戸中期の禅僧白隠和尚が復興し、幕末には西郷さんと対談した山岡鉄舟がいた。
そして終戦時には玄峰和尚が手配してポツダム宣言受諾について鈴木貫太郎など首相大臣クラスが議論をまとめた。
田中清玄という昭和のフィクサーもここで修行していた。
歴旅も行ったことがありますが、お賽銭箱も仏像もあまりないお寺でした。もう道場にしか見えない。一般観光客は行っても何も面白くないですが、座禅と宿坊をやっていたかと思います。
静岡県三島龍澤寺。
熱海で生しらす丼を食べるついでに寄ってみてください笑
(初めに言っときますが、行っても見るもの何もないですよ!笑)
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