2019年開成中学校社会①より 上野編①雄略天皇
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
いやー、中学受験、難しいですね!
答えはわかるのですが、上野縛りなどわりとマニアックです笑
時代も5世紀から近現代までと、マニアックな時代が出てきますね。
上野を知らないと回答できないのか?というとそうではないのですが、
地域と通史が分からないと対応できないんですね。
そのうち地域史もやりましょう笑
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現在の湯島天神は、5世紀に雄略天皇の命によりアメノタヂカラオノミコト(天手力男命)を祀ったのが始まりと伝えられています。14世紀に湯島の人々が天神を迎え入れ、15世紀には太田道灌が再建したとされています。太田道灌は室町時代の武将で、江戸時代を築いたことでも有名ですね。天神とは本来天の神ですが平安時代の(6)を天神とするようになったものです。
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マニアックですね~神話の時代に片足突っ込んでる。
とはいえメジャーなトピックではあります。
引用しきれないので、この問題に出てくる内容を広範囲にみていきましょう。
■雄略天皇(ワカタケル)
雄略天皇は古墳時代の天皇と考えられており、比較的新しい人代の天皇です。文献は少ないものの、あちこちに記述がみられ、『日本書紀』では暦法が雄略紀から変わっているため、歴史的転換点があったと考えられています。
それ以前は日本各地の豪族が強かった時代で、今の天皇家に繋がる系譜も豪族のone of them、その他大勢のうちの一人にすぎなかった。大王(おおきみ)と呼ばれる存在ではあるものの、NO1とは言えない時代でした。
「天皇は現人神(あらひとがみ:実在の神様)である」
なんて戦前は言われましたが、いろいろ調べていくと古代の日本の神社のトップはみんな現人神なんですね。
神様を降ろして人につけ、そして帰す。
そんな儀式がある。担当の神官がいる。
ということなんですが、古代においては現人神だらけだったようです笑
諏訪大社、伊勢神宮、出雲大社。
その中の一番人気が今の天皇家に繋がるヤマト王朝の系譜だった、ということです。
令和に切り替わるときに、徳仁天皇の「即位の礼」を見た人もいるかもしれません。令和の時代に平安時代!?と思うような形式に驚きましたが、やはりそれくらい長く、日本文化のコアな部分は変容していないんです。
大嘗祭(だいじょうさい)は一代で1回限りのイベントですが、
「天皇霊」を新帝の身につける神事、という位置づけの儀礼です。
いわゆる神道の伝統としては5世紀くらいはこのスタイルは続けられ、コンセプト自体は他の神社でも同様です。
天皇=シャーマンキング。
現代でも本当にそんなことしてるの?という感じですね笑
事の真偽と重要性はもはや宮内庁か天皇家しかわかりません笑
歴史というより日本の文化論になってしまいましたが、
掘り下げるのはこれくらいにして、
神官 兼 権力者
というのが、この時代の天皇の特色です。
他のイスラム教ですと、カリフ(聖職者)とスルタン(王様)が別にいて、権威と権力を分担しています。
日本はその後天皇(祭祀)と将軍(政治)に権力構造が分かれていきますが、似ていますね。権威と権力を分割する。実際はこの方が統治がうまくいくことが多いです。
日本の場合は明治以降、最終的な政治も天皇家、宮中が動かしている向きもありますね。イギリスもですが、王室外交は今でも有効です。中東、欧州もですが、意外と「●●王国」って多いんですよ。
雄略天皇の時代を契機に|大王≪おおきみ≫の専制政治、中央集権体制が始まったとみられています。
結構血みどろの戦いを繰り広げてきた大王です。
まず帝位継承の邪魔となる兄弟や従兄弟を殺しまくって即位。
そして百済や新羅とも頻繁に戦い、内政においても誅罰、処刑してきたので日本書紀には「大悪天皇(はなはだあしきすめらみこと)」と書かれています。
埼玉県稲荷山古墳から出土した鉄剣には金象嵌銘で「獲加多支鹵大王」と記載されており、『古事記』『日本書紀』に書かれている実名の大長谷若建・大泊瀬幼武と似ているとされています。雄略天皇の名が刻まれた鉄剣が熊本、埼玉で見つかったことから、この頃に九州から関東まで、広範囲に王権が広まっていたと見れます。
中国の歴史書『宋書』には、
「使持節 都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」
としており、韓半島まで支配していたことを認めています。
いろいろと記述はありますが、歴代では珍しく戦争しまくっていた、残虐な大王として記録されています。
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