2019年開成中学校社会①より 上野編③菅原道真

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

本日は天神様こと、菅原道真公です。
■菅原道真(天神様)
有名ですね。特に受験生にとっては学問の神様として知ってて当然のレベルだと思います。湯島天神にお参りに行ってください。

さて、この菅原道真、波乱万丈な生き方をしています。本人が望んだわけではないのですが、結果神様になってしまうのです。

まず彼は何者?というところからですね。
菅原道真は平安時代の優秀な官僚です。
歌人でもあり、歌を詠むのがうまかった。

また、894年遣唐使を止めたりと、国家のメイン事業の判断をする立場にもありました。(おそらく本人が遣唐使なのに大陸で戦乱が始まっていたから行きたくなかったというのもあるかと思いますが笑)
唐が滅びちゃったし大陸が戦国時代になっちゃったから行くのやめようよ、と。まあ、妥当な判断です。遣唐使が留学している間に殺されちゃったら元も子もないですから。街ごと焼かれてしまうかもしれないですし。

しかし、優秀すぎるとねたまれます。誰に?というと藤原氏です。中臣鎌足以降から、藤原氏はずーっと朝廷の中枢でぴったりと天皇家にくっつき、権力を握り続けていたのでした。

そしてたまに現れる超優秀な人達がいると、讒言で言いがかりつけて、嘘の罪で左遷したり殺したりしていたわけです。
そんなのまっぴらごめん!とばかりに逃げられる人もいるのですが、国のことを真面目に考えてる人ほど放置なんてできず頑張ります。菅原道真もそんな感じのまじめな役人。ただ道真の左遷には、陰謀だけではなく道真に反感を持っていた貴族の同意があったとされています。宇多天皇の側近をしていましたが、道真公は太宰府(だざいふ:福岡県)に飛ばされてしまうのです。

「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なきとて 春な忘れそ」
春風が吹いたら匂いを(京都から太宰府まで)送っておくれ、梅の花よ。主人がいないからと言って春を忘れてはならないぞ。

「な~そ」。で否定形ですね。中学の古文で習います笑
オツな歌です。しかしさみしい。中央から左遷されちゃうんです。

左遷の移動は全部自腹。俸給もなし。従者もなし。大宰府では刑死したわけではないものの、衣食住もままならず緩やかに死罪にされたに等しい状況でした。きっとこの時に呪ったんでしょうね。。。
「おのれ藤原氏め!」と。

■怨霊道真
学問の神様、歌人などと高い才能が評価された道真ですが、
むしろ死後の負のソーシャルインパクトが高すぎる。
これまでも怨霊によって死んだ、みたいな話はあったんですが、特大級でした。

908年  藤原菅根 病死
909年  藤原時平 病死
913年  右大臣源光 泥にはまって溺死
930年  清涼殿が落雷クリーンヒット。
      大納言藤原清貫に直撃。
       参内していた朝廷要人も火事で多数焼死。
      これを見ていた醍醐天皇も体調を崩して崩御。
      醍醐天皇の皇子保明親王が薨去。
      さらに保明親王の皇子慶頼王病死。
      藤原時平の子保忠も病死


死屍累々です。すげー笑
結構時間経っているのに、末代まで祟っています。
科学的な因果関係はないですが、属人的な因果関係はある。菅原道真を敵視していた人達がガンガン死んでいったのです。
もうこれでみんなビビっちゃったわけです。

947年神に祀られました。

日本は基本的に自然神がベースで、天津神系の皇祖神が後から祀られているのが大半です。
あとは氏神神社もありますが、人が神格化するのはこうした罪なくして死んでいった怨霊パターンですね。

神社になってからはご利益ある神様として現代にいたるまで存続しております。