2019年開成中学校社会①より 上野編⑤ 太田道灌

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

本日は太田道灌。知っている人ってどれだけいる?
歴旅は大人になってから知りました笑

割とマニアックな人物ではありますが、関東では意外といろんなところで出てくる。
知ってみるとすごい!と思う人物です。
最近は江戸関連のテレビ番組で割と出てきますね。

■太田道灌(おおたどうかん)
室町後期から関東地方で活躍した武将です。
この記録に残りにくい戦乱突入期だからちょっとマイナーなのかもしれません。
もともと関東管領をしていた上杉家の一族に仕えていたので関東一円で行動していました。

鎌倉で学問を修め、足利学校(現在の栃木県足利市)でも学びました。

では何した人なの?
というのが気になるところですが、彼は
江戸城を築城した人です。

彼の特徴は築城が得意なんです。戦国後期なら藤堂高虎。築城の名人、という、たまにいる特殊な武将です。軍人×建築士です笑

当時上杉家に仕えていたのですが、上杉家は足利将軍家とも紛争を起こしていました。土地が近いからですかね。関東管領を務めていましたが、足利氏ももともと群馬・栃木あたりが拠点の坂東武者です。何かとぶつかっちゃったんでしょうね。

当時有力だった千葉氏(千葉県の由来となる豪族)を抑えるために、江戸氏の領地だった武蔵国豊嶋郡に江戸に居城を作りました。
千葉氏は今も千葉県では有力者ですね。千葉常胤(つねたね)は平安時代に源頼朝に「おやじ」と呼ばれるような存在で、桓武平家の出身なのに鎌倉時代に勢力を全国各地に広げます。南総里見八犬伝の里見氏、福島県の相馬氏なども千葉氏から派生しています。九州から東北まで繋がっています。
全国千葉氏の会、というのも現代でも全国ネットワークとして存在します。
千葉で政治家になるときは挨拶に行かないとだめですよ笑
現在の熊谷県知事はNTTを辞めて市議になるときにまず挨拶に行ったそうです(直接聞きました)。

さて、太田道灌は江戸城を守るために日枝神社(ひえじんじゃ)や築土神社平河天満宮などを勧請しました。今も赤坂の日枝神社、有名ですね。

この時代は乱世に突入してきているので、とにかく戦闘が多い状態でした。
関東では上杉家、足利氏、新興勢力の北条氏、駿河地域には今川氏。
この勢力争いがバチバチ起きていました。

長尾景春の乱と呼ばれる反乱が長期化し、これにより戦闘続きとなりました。
上杉家は4家に分かれていたのですが、太田道灌は扇屋上杉家に仕えていました。
上杉家の内部でも争っていたのでややこしいですね。この辺りの時代はだいぶマニアック。

最終太田道灌は暗殺されてしまいます。原因は力をつけすぎた道灌が、下克上を狙っていると思われ暗殺されたとも、対抗していた山内上杉家から刺客が送られたともいわれています。

■上杉家
平安時代から続く由緒正しすぎる歴史ある家柄の上杉家。
一般的には戦国時代の越後(新潟県)で活躍した上杉謙信か、江戸時代の米澤藩を治めた上杉鷹山を思い浮かべると思います。(上杉鷹山公はアメリカ大統領ケネディにも尊敬する日本人として挙げられていました。)

しかし上杉家の実際の最盛期は室町時代だったといえるでしょう。
その版図は関東地方一円と最大でした。
 鎌倉末期に足利家と連携して動いていたのがよかったのですね。平安~鎌倉時代には平家側についたことによって没落しそうになっていましたが、足利幕府成立とともに勢力を拡大したのでした。
 しかし室町時代末期となると、戦乱が増え、ついに関東管領のポジションを失います。
その原因は長享の乱と呼ばれる、山内上杉家扇谷上杉家の内輪もめの争いの結果なのですが、結果的に上杉氏は衰退し、代わりに北条早雲を開祖とする北条氏が台頭してきました。
 関東を維持できなくなった上杉家は分家が先に移動していた越後へと向かい、合流していったのでした。


■北条早雲
 彼は戦国時代初期に現れた武将です。彼自体が戦国時代幕開けの代名詞。風雲児北条早雲。出自が謎の人物で、下克上の典型例とみなされてきましたが、実は割と優秀な若手官僚だったのではないか、というのが最近の見方です。小田原を中心として関東地方を160年ほどの基盤を作ったのですが、戦国時代初期のためたいして知られてないわりにはすごい人物です。

 京都で室町幕府の政所(まんどころ)執事を務めていた伊勢氏だった、というのが最近の通説です。今でいうキャリア官僚ですね。

官僚をしていたという記録があるのですが、関東に行ってからは無名だったので、そこで経歴がリセットされてしまったようです。関東になぜ行ったのかは謎ですが、彼は寺で漢学を学び、『孫子』、『六韜三略』、『李衛公問対(りえいこうもんたい)』などの武経七書と呼ばれる書物を読み込んだといわれています。軍師養成所のお寺があったのですね。

彼は伊豆、相模など各地を攻め入り、盤石の体制を作りました。
そのまま160年持つというのはすごいですね。

室町末期から戦国初期は非常にわかりにくいですが、この辺りを押さえておけば十分ではないでしょうか。

北条早雲の出自は比較的最近わかったことなので出題あるかもしれないですね。

今日は戦国初期のわかりにくい時代、関東の動きを少し詳細にお話ししました。