2019年開成中学校社会①より 上野編⑦戊辰戦争1

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

幕末編。一人一人が濃すぎて、そして時代背景、状況、勢力が渦巻きすぎて複雑ですね。だからこそいろんなドラマがあって面白いんです。

それでは上野戦争から始まる幕府軍VS新政府軍。
いってみましょう!

■回避した戦争を無理やり巻き起こして戊辰戦争へ
先ほどの山岡鉄舟(と勝海舟)の交渉のおかげで徳川慶喜の身柄は安全を確保し、江戸も火の海にならずに済みました。

正直新政府軍も江戸を火の海にしたいとは思っていなかったと思います。
だって分捕れる金銀財宝がなくなったら旨味なくなりますからね。

新政府軍はお目当てだった徳川家の金庫を開けます。
「この資金力で新政府を打ちたるんだ!」

という目算だったんでしょう。
しかし実際金庫を開けてみると空っぽ。

もう一回見ても空っぽ。

あれ?????

ないんです。おカネがないんです。
徳川幕府、本当にカツカツで使い果たしてしまったんです。

「え~~~~~~!!!ないぞ!!カネがない!」

となったでしょう。
これは推測ですが、おそらく新政府軍も最新軍備を買うためにイギリス・アメリカに相当カネをつぎ込んでしまっていたんだと思います。そうでもしないとなかなか最新兵器なんて買えないです(南北戦争のおさがりですが)

あてにしていたカネが江戸にない。
だとすれば。。。。戦争していない東北を襲えばカネがある!!

というのが戊辰戦争の本質的な動機です。
これは歴旅が徳川宗家18代徳川家広さんから直接お聞きしました。

やはり教科書にない事実をよく知っておりますね。
ちょっと披露してみましょう。

●幕末志士の実態
松平容保が京都守護職に就任したのち、実は京都に集まっている浪人を集めて、どんな日本にしたいかヒアリングしているんです。
その答えは、
「いい飯食いたい。立身出世したい。遊んで暮らしたい」
というものでした。

マンガで読んでいた維新志士、確かに京都に長崎に、芸者がいるところばかり出入りしています。彼女ができたりなんだり。
一方京都の町を守っていた庄内藩士、新選組などは
「軍規をやぶるべからず!」というトーンで基本まじめです。
この辺りの態度、結構本質な気がします。
松平容保公は、「誰も日本の事なんて考えていないじゃん。こりゃあかん」と思ったでしょう。
その後明治政府では井上薫山形有朋も法外な汚職事件を起こしています。国民の血税を何だと思っているんでしょう。
山岡鉄舟の爪の垢を煎じて飲ませてあげたい。

脱線しますが、現在の地方銀行の社史を読むと面白いです。
地銀の母体はそれぞれの藩の主要産業を取り仕切っていた商家が多いんですね。富山第一銀行であれば北前船回船問屋だったり。
社史には会社の事始めが書かれていますが、例えば千葉銀行などは、
「明治政府の借金の肩代わりから始まった」
という内容です。

明治政府、作ったはいいけどカネもないし何もない。
他の下々の者もそれを下支えしなければならない。
なのに汚職。

ちなみに長州の名誉のために言っておくと、第一級の国を思って戦っていた志士達もいました。彼らはもれなく幕末に壮絶な死を迎えています。
明治の代まで生き残ったのは二流の人材だった。
これは松下村塾を作った吉田松陰の『留魂録』巻末にも書かれています。壮絶な烈士がいました。

●大政奉還より前に、「共和制」構想があった
 もうこの時代、薩摩、長州、幕府などなど、ある程度の勢力で今後の日本は共和制でやっていったらいいんじゃないかという合意があったそうです。
君主としての徳川家は一勢力として政治参加する。大体今の政体と同じですね。そういう話だったんですが、新政府は徳川家を締め出し、独占したかったんですね。大政奉還後は徳川家も新政府の一員として参画する予定でしたが締め出されました。

●高杉晋作の奇兵隊
 「おもしろき こともなき世を おもしろく」
 こんな歌を詠みながら若くして死んでいった高杉晋作
 彼は行動の人という位置づけですが、奇兵隊を組織し戦争に行きました。

 奇兵隊ですが、農民など「武士」以外で結成された軍団でした。
 その後陸軍大将になるような人物もいますが、全体としては、
 まともな普通の長州人は参加しなかったそうです。
 集まったのは農地もないはぐれ者、やくざ、ヤンキーなどなどです。
 
 まあそうなりますよね。生活基盤があったら遠くまで戦争しに行く必要ないですし。ちなみに毛利の殿様は「そうせい公」と呼ばれていました。何を聞いても「そうしろ」としか答えないからです。

 背景としては長州征伐にやってくる混合軍に対して祖国防衛というところで立ち上がったものもいるかと思います。
 しかし、当時の価値観で京都で宮中に砲弾をぶっ放す、という賊軍以外何物でもない行為をしたことに対して、長州の一般の人達はどのように思っていたのでしょうか。やはり心ある人は奇兵隊には参加しなかったのではないかと思います。