2019年開成中学校社会①より 上野編⑩江戸時代の東南アジア

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
本日は時代と所変わって、東南アジアに渡っていった山田長政を取り上げます。

■シャムの山田長政

シャムというのはタイの古い名前です。
siam、現在でもサイアム・スクエアなど名前を残しています。

山田長政は現在の静岡県沼津出身と言われています。生しらすが食べたい笑
出生は伊勢、尾張など複数説ありますが、沼津藩主大久保忠佐に仕えていました。

不明点も多い人物ですが、渡航の動機や途中経緯は曖昧です。
一説によるとキリシタンだったため、江戸幕府の追放令とともに海外に出たのではないか、という話があります。

当時アユタヤ朝という王朝がありましたが、国王ソンタムに信頼を受け、大臣クラスまで上り詰めます。
外国人なのにすごいですね。
一番すごいのはアユタヤ朝に侵攻してきたスペイン艦隊を2度もやぶっていることです。東南アジアまで来ているとはいえ、当時ちょっと前の1588年レパント海戦でイギリスに負けるまで世界最強だったんですよ?

スペインの無敵艦隊。日本人部隊、人数が多いわけではなかったと思いますが、ゾウ部隊を作るなど工夫を凝らして勝ちます。現地化していますね笑
というかガチですごい!
スペインから遠路はるばる東南アジアに来た少数部隊だったとしても、
日本から追い出されて出てきたような浪人達が世界最強スペイン艦隊を撃破。
日本の戦国時代、本当に当時世界最強だったんじゃないでしょうか。
戦闘民族日本人。最強です。

日本人町の頭領となり、傭兵部隊を率いてスペインを撃破。
日本にはスペインの軍艦は来ませんでしたが、タイや東南アジアでは、
いける!と思ったら軍艦を送って侵略していました。

世界を同時代で横に切ってみると実像が浮かび上がってきますね。
日本は資源がないから支配しに来なかった、なんて話は大嘘です。
資源がないと思いこませて、全部収奪するための虚言です。
日本に資源も未来もないって思いこまされてませんか?誰かに。

やはり日本は強かった。沈まぬ太陽の国の軍艦でも被害が出る。
宣教師があらかじめ「日本には来るな」と言っていたんでしょう。

山田長政は北方を守るためにリゴール太守となりました。政敵にシーウォーラウォンという宰相がいたのですが、彼と反目していて、遠ざけられたという話です。結果戦闘中の傷に毒入り軟膏を塗られて死亡。日本人町も「反乱の恐れがある」と言われて焼き討ちされました。

繰り返しですが、戦争はいつでも難癖付けられて起こります。

ちなみにシーウォラウォン。その後国王も暗殺します。タイは近現代に入ってもすぐ軍人がクーデターを起こす。微笑みの国タイ。いい国なんですが、裏でのインテリジェンス(知略策謀)がすさまじい国なんです。だから東南アジアで独立を保てたのかもしれません。

おそらく各地に無名のまま散った最強のサムライ兵団が東南アジア各地にいたことでしょう。
この辺りの東南アジア文献、もっと読み込んで広めていきたいですね。
昔のスペイン語とポルトガル語とオランダ語ができないと研究できない。。。東南アジアは東洋史の範疇なのに、西欧言語が必須。

■技術的イノベーションが起きていた戦国~江戸時代
 徳川幕府になり海禁政策が施行されてから、外に出た侍はもう日本には戻れませんでした。現地に根付こうと必死だったと思います。しかし体制ががっちり確立される前の初期は手紙などもやり取りできていたようです。
個人名で地元の情報をやり取りできる。そんな環境で頑張っていたのでしょうね。

日本はこの時代から西欧に触れ、様々なものを取り入れました。

カステラ・金平糖・ビロード・置き時計・火薬・鉄砲・大筒・毛織物・ガラス製品・パン・ぶどう酒・たばこ・マントや金の装飾・オルガン・カルタ

いまだにカルタやカーテン・スリッパなんてのはオランダ語だったりしますね。カステラや金平糖なんてむしろ日本の伝統的お菓子の部類に入る気がします笑

日本はこうした西洋の文物を盛んに摂取し、最終的に江戸時代には大半内製化していっています。
明治時代には「和魂洋才」なんて言われますが、和魂の部分が分かりにくくないですか?

それは、
・海外の技術・思想のいい点だけ輸入すること
・徹底的に解剖して理解する
・本質を見抜き、日本社会の実情に合うように加工すること
・技術は可能な限り内製化可能にすること
・表面は変わっても、日本の本質は変えないこと

多少抽象的ですが、これができていたのが日本です。
単に真似ただけではない。一方的にいいものだからと教育されたわけでもない。
いわば積極的受容なんです。
進取の精神、学の独立です。
そしてそれらは日本国内の豊かさにつなげていきました。

こうしたマインドを持っている日本は賢く豊かで、
果断する勇気のある民族でした。

イノベーションについてですが、火薬は江戸時代には内製化可能になり、西欧に武器を外部依存しなくてよくなります。朝鮮出兵の時に、ここが急所とわかっていたんですね。
武器商人って悪いイメージがありますが、西欧列強がアジア・アフリカで紛争の種を蒔いて双方に武器を売りつけ、戦争が始まるとずっと儲かる、みたいな仕組みが悪いのであって、自力で防衛能力を持つこと自体は必要なことですね。
日本は「鎖国?」しても停滞していたわけではなく、江戸時代を通じて改良し続けます。
鉄砲の量産から火薬製造、軍事技術から始まりますが、お菓子が入ってきたことから島津での砂糖製造も進みます。昆布などの流通網改革、富山の薬売り(漢方薬)の内製化などなど。

これらは対中貿易などによってもたらされた側面もあったかもしれませんが、あるいは海外にいる日本人達との見えないつながりが続いた結果かもしれませんね。きっと先祖は日本人、という人達も現地に多いのではないかと思います。