2019年開成中学校社会①より 上野編⑫関東大震災。後藤新平と昭和へ
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
大正時代、外で戦争していたから儲かったんですね。
工業力も伸びるし、消費も増え、日本は一部だけだと思いますが、リッチな生活をしていたのでしょう。
それは一方で労働者を長時間働かせることになり、当時共産主義の波が押し寄せてきます。しかしそれ以外にも長くダメージを残す出来事が起こります。
■関東大震災
さて、ここから後藤新平が登場です。日本は戦争バブルで小金持ちが急速に増えました。作ったら売れる。羽振りのいい時代でした。しかし、1923年関東大震災が起き、10万人以上が死亡・行方不明となる震災が起きます。
日本は定期的に大災害に見舞われます。もうこれは国土的にどうしようもないですね。
当時は七輪で炭火で料理をしていたのですが、時間帯も悪く火を扱っている昼食時でした。当時は木造住宅。
火の手があがり、抑えられなくなりました。
ここで後藤新平が登場です。彼はもともと医者から衛生担当官となったため震災以前も兵士の防疫医療などで活躍をしているのですが、帝都復興院を設立し、東京の街を復活させようと尽力します。
コロナが流行っているので心ある人は後藤新平に注目しています。
今のご時世を考えると試験に出るかもしれないですね。
復旧ではない、復興である。
という方針の下、直すのではなく新しい東京の街へ作り直すものでした。
新しい都市にはアパート、お茶の水の聖橋、復興小学校、復興道路、公園、復興橋、九段ビルなどがあり、木造建築から一新しました。また横浜の山下公園は復興の際に出た瓦礫で海を埋め立てて造られました。
しかし復興に必要な資金調達は難航、こじれていきます。
ロスチャイルドとモルガン商会が10億円を超える震災善後処理公債を引き受けましたが、当時の国家予算の6割を超える金額でした。最近まで場ぶっていたはずですが、
復興を進めつつも1929年にはアメリカでブラックマンデー、日本も昭和恐慌に見舞われます。
日本は明治以降、バブっては毟り取られ、バブっては毟り取られ、を繰り返しています。
歴旅も80~90年代は子供の頃はバブルでした。
「Japan as No1」と言われ世界NO1だった(裏の仕込みがあることに気づくのはあとになってからです)。そして1998年アジア経済危機に伴う不況。ここが転換点だったように思います。
更に
2001年9・11テロ
2011年3.11東日本大震災
2020年コロナ感染
表面的に戦争こそないものの、繁栄から衰退の局面にあり、見えないところで仕込みが見え隠れします。
「賢者は歴史に学ぶ。愚者は経験に学ぶ。」
これが歴史を学ぶ意味の一つですが、今まで体験していない未曽有の危機に対して、大正~昭和初期はいかに生きるかの鏡になります。
さて。後藤新平は岩手県出身、医者出身のテクノクラートなのですが、政治家となって様々な仕事をします。『国難❘来≪きた≫る!』と講演を行い、早くから日本の課題と恐慌への備え、戦争回避を訴え始めます。
もうかなり早い段階からです。
第1次世界大戦の結果、成金が増殖しました。そして1925年普通選挙も始まりました。
明治時代に始まった選挙は国税15円(現在の60~70万円)を納税できる25歳以上男子のみが対象、全人口の1%だけに権利がありました。
それが25歳以上全ての男性が選挙できるようになりました。普通選挙と呼ばれます。
これはいいことのように思う反面、例えば世界情勢を全く理解していない選挙民が海外から戦争を仕掛けられようとしていて予算を割かなければならない状況を理解せずに、おカネをばらまく政治家に投票するような状況が発生してしまいます。これで国を代表する政治家が適切に選べるのか?国にとってベストな判断をするメンバーで議会は構成されるのか?
という疑問が生じます。
後藤新平は成金が増える事で利権政治家が増える事をものすごく警戒しています。日本にとってベストな解を出すのではなく、利益誘導、ばらまき型の政治家が増える事で変な方向に行ってしまうのではないかと危惧しています。関東大震災直後の復興計画にも、拝金主義者が適当な仕事でカネを取ろうと巻き付いてくるのを適切に仕切っています。
この心配、現代も似た状態ですね。
2011年東日本大震災、まともに復興したのでしょうか?
この後1931年満州事変へ至り日本の大陸進出が進んでいきます。
後藤新平は独立型財閥と手を組んで、様々な課題に取り組んでいきました。関東大震災の復興もその一部です。それ以外も日本全体の産業を作っていきました。水力発電の開発、電力を使ったアルミニウム工場など、全国に産業を作りつつ、戦争に備え基盤つくりをしていきます。
大倉財閥、浅野財閥などですが、日本の独立を守ろうとした財閥はGHQによって解体されてしまいました。
今はホテルオークラ、浅野太平洋セメントなど一部企業に名残を残すのみです。
イギリスのジャーディン・マセソン商会などと関係のあった三井、三菱財閥は復活しています。ここでは水上達三など三井物産中興の祖と呼ばれる戦後世代の大変な努力があるのですが、ビジネスネタ&近代すぎるのでまた今度笑
ちなみにジャーディン・マセソン商会。前身はイギリス東インド会社です。最大のお仕事はアヘンの密輸とお茶のイギリス輸出。その送金業務で作られた銀行が香港上海銀行(HSBC)です。この会社のロビー活動によって1840年アヘン戦争が起きています。
香港で今起きていることを考えると、構造を知っておくべきことです。
中国では1851~1864年と14年に及ぶ太平天国の乱がおきています。
あれあれ?
明治維新と太平天国の乱、同時代に起きていますね。。。
あれあれ?
清朝を倒せと立ち上がったキリスト教母体の農民反乱。
武器はどこから?
幕府を倒せと立ち上がった下士の反乱。
武器はどこから?
長崎ではグラバーが「ジャーディン・マセソン商会」の長崎代理店として「グラバー商会」を設立。薩摩藩士のイギリス留学資金調達、長州五傑(初代総理大臣伊藤博文他)の留学手配も支援。
坂本龍馬が薩長同盟を結ぶ武器の仕入れはグラバー商会から。
横浜にも支店があり、吉田茂の養父吉田健三は一時期横浜支店長をしていました。
そしてジャーディン・マセソン・ホールディングス。アジアを規模版とした世界最大級の国際コングロマリット(複合企業)として『フォーチュン・グローバル500』にも載っています。この時代は普通に2020年の今にもつながっています。
中国を語るときに意外と日本が見ていないのが英中関係。
これも深いですよ。ジャーディンマセソン当主ケズウィックファミリー。
今でも現役です。
「ちなみに」からが深すぎましたね笑 脱線でした。
ウィキペディアで調べれば出るレベルですが、だんだんと、明治維新から現代の構造が見えてきたでしょうか。
上野編はこちらで終了です。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません