平成29年桜蔭中学校社会①より 地理編 富山県 ガイダンス

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

今過去問を見ながら進めているのですが、題名でつけたテーマ以外にも、回答ど真ん中に答えてしまっている記事、たくさんありますね。。
どうしよう。問題が足りない。。。笑
そして記事がハイペースに回答していってしまう。
言っておきますが、簡単な書き方しているだけで、論点自体はかなりハイレベルですよ!ディスカバリージャパンだらけです!

なので今後はもうちょっとぶらぶらします笑

別途見ていると、歴史で答えていながら、地理のところや、国語に関わるところも関連あって、そのあたりも見ていきたいと思います。

というわけで、今日はぶらりと日本旅。

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一方、富山は日本海側の各県の中では製造業がさかんな県としても知られています。とりわけ製■工業や、アルミニウム加工を中心とする金属工業の割合が高くなっています。製■工業は江戸時代から「越中富山の■売り」として知られた歴史のあるものです。そして実はアルミニウム加工業も江戸時代の産業とつながりがあるのです。加工しやすく、軽くて丈夫なアルミニウムは、高度経済成長期には様々な用途で利用されました。また、生産する時に大量の電力を使います。。そこで水力発電がたくさんあり、豊富な電力が得られた富山県では、輸入したボーイサイトを使ってアルミニウムの生産が盛んにおこなわれました。しかし1970年に入って急激に電気料金が上がったため、日本ではアルミニウムの輸入が増えていき、今ではアルミニウムの生産は途絶えてしまいました。しかし、現在でも富山県はアルミニウム加工業が盛んです。特に住宅の窓などの設置されるアルミサッシの生産の中心は富山県です。それは江戸時代からその名を知られる富山県高岡市の「高岡銅器」の技術の伝統があるからです。動機もアルミニウム加工も「鋳造」と言って溶かした金属を型にはめて冷やし、製品を作る方法を取ります。第二次世界大戦中に堂が不足し、代わりにアルミニウムを使ったのが富山のアルミニウム加工の始まりと言われています。
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引用長すぎるのでもうこの辺りから!と思ってください。

■人の歴史は自然から
 歴史をいろいろと語っていますが、大前提として考えていてもらいたいのは、常に地理とセットということです。人間は生まれ育った土地によって、食べ物も考え方も、産業も大きく影響されます。同じ人間だったとしても、生まれ育った環境によって大きく変わってしまいます。

例えば中国で生まれたばかりの赤ちゃんをアメリカに連れていったらどうなるでしょう?
見た目や身体的特徴は変わらないと思いますが、中国語は話せず英語を話し、ハンバーガーとステーキが好きになっている可能性が高いです。文化的にも琴や二胡なんて知らずにジャズかロックを聴いているかもしれません。

人を作るには①自然環境があります。そして②人物です。
人は後天的にその社会の中で育ちます。言葉や文化、習慣、宗教なども後天的にその民族や文化が持っているものを習得し、自分の一部となっていきます。それはその土地で歴史的に蓄積されたものであったり、どこかの段階で産業や文化を生み出した先人がいて、それが受け継がれています。
歴史というのは衣食住など生活文化の歴史、技術の歴史、人物の歴史も含まれていて、学校で学ぶだけでなく、親から子供へ、土地の人から子供達へと受け継がれていきます。
外から学んで定着させるものもあれば、時代に先駆けて作り上げるものもあります。
その大前提になるのは自然環境です。
砂漠で生まれたのか。水は飲めるのか。山なのか。海なのか。使える資源は何なのか。他で便利に使えても自分達のところでは便利なのか。

人間が環境に規定される部分は大きいです。同時に人間はそれを乗り越える知性を蓄えてきました。新たに生み出せることもあると思いますが、それは主に理科の時間に任せて、地理と歴史を学んでいきましょう。

では話を富山県を題材にしながら、それだと富山出身者に有利になってしまうので、話を広げながら進めていきましょう笑