平成29年桜蔭中学校社会①より 地理編富山③ 越中富山の薬売り

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

最近ビジネス教育が流行っていますが、歴史から学ぶビジネスの仕組み。歴史が古い分、人間の普遍的欲求やマーケティングの工夫が学べます。

さて。富山に来ています。
氷見ブリが食べたい。勝駒が呑みたい!
香箱蟹が食べたい! 昆布締めが食べたい!!
テンションが上がってきてしまいました。

これだけのために富山に行きたいです。
今日もぶらりと酒旅にしようかな。。笑

うそです。時代は江戸時代。
今日は産業編です。
これも深いのでちょっと分けていきましょう。

■越中富山の薬売り
富山の産業で有名なのが越中富山の薬売り。
江戸時代から売薬が盛んでしたが、産業としてみてみましょう。

この薬ですが、当時は漢方薬でした。
富山は日本海に面していますが、船に乗って中国から人がこれたんですね。唐人の座ができたことがありました。座というのは同業組合みたいなものですね。

「おわら風の盆」という富山のお祭りがありますが、なぜか二胡(胡弓とも言われる中国の弦楽器)を使っていて物悲しい音色です。中国から来た人達が祭りを残したのかもしれませんね。
今日は地理歴史を扱いながらビジネス編です!
文脈はビジネスでも文化や土地が出てきますよ!

プロダクト戦略
越中富山という土地は特殊で、簡単に言ってしまうと金沢を中心とする加賀藩前田家の支配下にありました。当時はほとんど全部加賀藩
富山藩もありましたが支藩であり、海岸線は全て加賀藩。つまり貿易は握れない状態でした。
富山藩2代藩主|前田正甫≪まえだまさとし≫は製薬、売薬をしていたのですが、1690年江戸城腹痛事件が起きました。事件?三春藩の殿様がゲリピになっただけです笑

しかし江戸城、殿中で粗相なんてしたら切腹ものです。下痢で切腹。命に係わるこの事件(笑)を解決したのが富山の反魂丹。腹痛は治まり、大変感謝されるとともに、富山の薬はすごいぞ!!と評判になります。都心のど真ん中、江戸城大名家の間でブランディングに成功するのでした。

流通戦略(販路開拓)
そんな富山の薬が有名になった事で、全国どこでも商売ができるようになりました。「他領商売勝手」。これ、結構すごいですね。関税いらずで他の国でも商売ができる。今ならTPPみたいなものです笑
通常は「うちの国で何勝手に商売してんねん!場所代払ったのか?!誰に許可とってるんだ!?」
と怒られます。
だってこれ、勝手にやったらその国の利益や物産が勝手に持っていかれることになるんです。明治以降死ぬほど苦労して勝ち取ったのが自主関税権ですね。これがないと二束三文で大切なもの、自由に持っていかれてしまうんです。TPPもやり方に気をつけなきゃいけないですよ。中国も台湾もなんか後から参加してきましたが。。

さて、富山藩は富山城下に製薬店を置いて商売を保護し、産業省令の一環として売薬を推進しました。
昔は修験道やお坊さんが薬と称していろんなものを売っていたんですね。もちろんまともなものもありますが、高値でよくわからない物を買わされる詐欺もあります。先ほど出ていた立山連峰。霊山と知られ、立山権現のご利益のある薬というのも背景にあり、修験者があちこち回っていました。
また、都市に出没する|香具師≪かぐし≫も修験者の後裔と自称して街を回っていました。
香具師というのは大道芸人みたいな露天、出店で芸を見せて歩く芸人ですね。
彼らの活動を藩が後押しし、富山の薬を売って歩きつつ、販路開拓していきました。

プロモーション戦略(ちんどん屋)
 見たことあるでしょうか。私はコロナになってから門前仲町と新橋で見ました笑
 ちゃんかちゃんかちゃんかちゃんかと太鼓をたたいたり笛を吹いたりしながらコスプレ部隊が路上パフォーマンスするんです。香具師から変化してますね。

 にぎやかな祭りみたいな感じになるのですが、街中でチラシを配ったりするんですね。テレビがない時代。街中で多くの人がいる中でプロモーション部隊が宣伝する。これも富山の文化の一つになっています。
これと同じことは現代でも有効ですね。youtuberはデジタル単独ではアクセス数が上がりません。リアルな体験があって、「スゲ~!」って言っている人がいて、口コミがネットで広がっていくんです。当時のリアルイベントがちんどん屋です。

販促戦略(おまけ商法)

今もありますね。なにか商品を買ったらおまけがついてくる。この先駆けが富山の薬売りです。薬を買うとおもちゃがついてくるんですね。当時だと紙風船でしたり、簡単なものですが子供達が喜びます。
こうして別の販促(販売促進の略)会社のような機能を持つんです。
新しい浮世絵が人気でした。当時テレビなんてないので、人気アイドルのブロマイドが入ってくるのは薬屋さんの販路からでした。歌舞伎情報なども持って回り、どの村に行っても人気者。浮世絵や歌舞伎は江戸ばかり取り上げられていますが、こうして地方にも絵が流通していたんです。
食べ合わせ表などの健康管理、予防医学みたいなこともしながら、人が広告塔、ブランディングを担いました。
 上得意には輪島塗若狭塗塗り箸九谷焼の盃や湯飲み茶碗などを持っていきました。もはやノベルティ施策。ちょっと前なら株主限定プレゼントなんかになりそうです笑
こうして地域産業のブランディング、販路開拓にも貢献していました。

すごく深いい話なのでつづく。