平成29年桜蔭中学校社会①より 地理編富山県⑥ 昆布史
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
地理の産業で出題されるでしょうか。
今日は北前船で南の海へ行ってましょう!
■昆布
昆布です。
昆布?みそ汁の出汁?と思った人もいるでしょう。
そうです。昆布です笑
昆布を侮るなかれ。
もうこれだけで本1冊書けるレベルですが、まず昆布がすごい。
今でこそ毎日味噌汁に入れて食べられる昆布ですが、昆布が取れるのは今の北海道。海水温が高いと昆布は枯れてしまいます。
そして昆布。日本海交易で入手して北陸から関西に流通したので関西は昆布出汁。静岡でカツオが取れたので関東は鰹節。ちなみに九州はあご出汁(トビウオ)。味の文化もここで変わっています。自然環境×人間の流通ネットワークで文化ができる例ですね。
また、当時昆布は中国では漢方薬の素材でした。
ここがポイントです。日本人は毎日漢方薬で味噌汁呑んでいるのです笑
幕末薩摩藩。江戸時代の後半には財政赤字で破産しそうになっていました。参勤交代も一番出費する。江戸に行くのもとにかく大変。それを改革したのが|調所広郷《ずしょひろさと》。優秀な官僚でした。ここでやったのが密貿易です。幕府に知られないようにやっていたのですが、何をしたか?
琉球を仲介した対中貿易です。
いつの時代も対中貿易は儲かるんです。
ここで北海の産物昆布を輸出しました。
沖縄に行ったことがある人は不思議に思いませんでしたか?
昆布が普通にお通しみたいに出てくるんです。
沖縄料理にかなり出てくるんです。
でも昆布は北海道でしか取れません。
ちなみに昆布消費量も全国一位でした。
(しかし30年ほど前から下がっていっています。)
これは幕末の昆布貿易の影響です。
もう一つ問題です。
幕末アメリカ相手に開港したのはどこでしょうか?
1854年日米和親条約。
これで下田と箱館が開港されました。
この段階では貿易というより、必要品の供給だけ許可しました。
次に1859年日米修好通商条約で開港した港はどこでしょう?
横浜・函館・長崎・新潟・神戸。
5港開港しましたが、不思議ではないですか?
なんで箱館(函館)が真っ先に挙がっているのでしょう??
当時は松前藩が独占的に蝦夷交易を行っていましたが、当時蝦夷地(北海道)は日本とみなしていませんでした。明治時代にロシアからの外圧がかかって領土化していったんです。しかし、交易拠点や住み着いていった経緯としては、もっと昔からなじみのある土地でした。古事記にも書いてあるくらいです。そんな遠い箱館。なんで開港しろ!アメリカはなんて言ってきたんでしょうか。
日本側からすると、「江戸から遠いから開港してもいいや」というのもありましたが、
(下田は東京湾に入れないため遠くに設定しました)
アメリカは箱館の物産のうまみが分かっていたからです。
当時ペリーが浦賀に来た時に、一緒に中国人の羅森という通訳が乗っていました。軍艦に乗っていたのはアメリカ人だけではなかったんですね。ちなみにペリー、浦賀に来る前に琉球にも先に立ち寄っています。
羅森は口頭というより筆記での通訳をしていたようですが、この時にアヘン戦争の状況を伝えたといわれています。オランダから、清国から、複数ルートで戦争結果は日本に伝わってきていたんですね。
さて、函館開港ですが、彼は対中貿易で何が一番旨味があるのかを知っていたんですね。
先ほどの薬九倍層ではないですが、海外貿易となるとその利益率はさらに跳ね上がります。
薩摩藩は琉球を仲介して中国貿易しているのに、薩摩藩の財政を立て直すことができたんです(!!)そんなに儲かる。
これを仲介なしで直接貿易できたらどうなっちゃうの!?
これがアメリカと中国の函館開港の狙いでした。
薩摩藩は昆布を富山の北前船から仕入れる。
昆布を琉球、中国に売って儲ける。
財政を立て直し、更にはその資金で武器を調達し討幕に向ける。
富山の薬売りはそのルートで漢方薬を仕入れる。
越中富山の薬はさらにパワーアップ。
北前船と薬売りルートで国内外の情勢を広く深く集める。
昆布、すさまじくないですか!?
明治維新は昆布でできている笑
全日本人が知るべき情報です。
小学校の教科書に載せてほしいです笑
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