平成29年桜蔭中学校社会②より お茶の歴史① ガイダンス

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日本で一番古い喫茶に関する記述は、平安時代初期の僧侶が嵯峨天皇にふるまったというものです。茶は中国から伝わりましたが、当初日本では僧侶や貴族などごくわずかな人たちにしか知られていませんでした。鎌倉時代には、禅宗の僧侶栄西が記した日本発の茶の専門書『喫茶養生記』が、三代将軍源実朝に献上されました。日本最古の茶園が作られたのもこの頃だといわれています。鎌倉時代には禅宗の寺院で喫茶の習慣が広がり、社交場として武士階級にも好まれるようになっていきました。
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例により以後の引用は省略しますが、大問全部に対応します。

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
今回はお茶の歴史です。切口が簡単なような難しいような。文化に関する歴史になります。

歴史の中で文化史が一番単純暗記だなぁ。
だって前後の文脈が分からないし、作品と作者を暗記するだけ、
みたいに思ってないでしょうか。
文化も歴史的時代背景があります。前回の「昆布」や「チューリップ」だけでも実は様々な文脈があります。産業の歴史となると時代背景とつながりが出てきます。

今回はお茶から始まりいろんな繋がりを見ていきますが、世界ではお茶が原因で戦争まで起きています。普段呑んでいるなじみ深いお茶から考えると驚きですね。地理も絡めながらその意味と価値を見ていきましょう。

■茶の歴史
 まずお茶ってなんなんでしょうか。
 今では毎日飲むような健康飲料、というイメージかもしれませんが、古代においては「薬」でした。三国志の時代には銀と交換するような位置づけです。極めて高価で、少量しか生産できないような希少品でした。それが時代を経て次第に一般普及し、現在に至ります。中国では様々な種類の茶葉が売られていますが、今でも高級品のお茶はたくさんあります。

 みなさんは本物のお茶を飲んだことはあるでしょうか?
「あるにきまってるじゃん」
と思うと思いますが、ペットボトルのお茶、よく見てください。
「清涼飲料水」や「茶飲料」となっています。
「お茶に見せかけているけど本物のお茶ではないよ」というしろものです。ペットボトルがなかった時代から、1990年代くらいにシフトしていきました。
「いやいや、ティーパックでお茶飲んでいるよ」
という人もいると思います。
それはちゃんとしたお茶です。本物です。
しかし、明確に効果効能を感じられるようなお茶というものもあります。
利尿作用など効果覿面。数時間で感じられます。
これを呑むと、実際に漢方的な位置づけだったことはよくわかります。
これは中国、台湾、香港の「茶館」に行く機会があったら是非試してみてください。高単価なのですが延々とお茶を飲みゆったりできるところです。
歴旅は台湾の茶館に入り浸るのが好きでした笑
長時間まったりお茶を飲み続け、お茶の効果をひたすら感じる空間です。早くコロナ終わってほしいですね。

さて、いい効果があるお茶。
やはり中国が生み出した文化と言えます。日本には仏教僧が持ち込みました。やはり高価であり、薬的位置付けのため貴族や僧侶中心になります。
世界的には中国から北方ルートで伝わったものは「ティー」「テ」などの発音となり、南方ルートで伝わったものは「チャ」「チャイ」発音となり世界中に伝播しました。

日本では遣唐使が往来していた平安時代に最澄、空海などの留学僧がお茶の趣旨を持ち帰っています。平安初期815年『日本後記』には「嵯峨天皇に大僧都永忠が近江の梵釈寺においてお茶を煎じて奉った」
とあり、この辺が最初になりそうです。

鎌倉時代には禅宗の僧、栄西が宋から帰国する際にお茶を持ち帰りました。『喫茶養生記』を下記、お茶の効用から製法などを記述しています。栄西は源実朝に本を献上したと『吾妻鏡(あずまかがみ)』に記述があります。吾妻鏡は有名な歴史書です。|源実朝みなもとのさねとも》、深酒する癖があったので二日酔い回復用ですね笑
この栄西、臨済宗という禅宗を立ち上げた坊さんとして割と有名です。
京都の明恵上人という華厳宗のお坊さんが栄西から種をもらい、栽培して宇治茶の基礎を作ったといわれています。
当時は蒸した茶葉を揉まずに乾燥させた|碾茶てんちゃ》が主流でした。
禅とお茶は密接ですね。茶禅一如なんて言葉もあるくらいです。