平成29年桜蔭中学校社会②より お茶の歴史③ 千利休
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
千利休。ちょくちょく出題されていますね。
戦国時代、お茶の文化、様々な切り口で出てきています。
さて、千利休。彼は秀吉の怒りを買って切腹させられます。
なぜ切腹させられたのか、というのは正直分かっていません。
ここでは歴旅説が入りますが、以下を推測しています。
①南蛮貿易に精通した千利休は、茶道をしながら、実はキリスト教布教に貢献していた。直接的でなくても人の紹介、海外情勢の情報交換などをしていた)
②茶道を隠れ蓑にしながらキリスト教に帰依する武将を増やし、勧誘していた
③茶道の政治利用が嫌になり、茶器の価値暴落をほのめかした。
わりと妥当な理由かと思います。これらは切腹に値する内容です。
キリスト教と茶道については人物を辿っていくと少し見えてきます。
秀吉の有能な部下だった|蒲生氏郷《がもううじさと》。
彼は戦国武将の中では少しマイナーかもしれませんが、優秀な大名クラスの武将です。織田信長に見いだされ、信長の次女と結婚。近江を拠点とし秀吉の命令によって会津に移封。東北の伊達政宗と対峙します。要するに伊達政宗レベルの武将。サムライとしても強い。統率力もある。更に茶道を嗜み文化人でした。
彼は自分で城下町に茶室を作っています。
しかし、もう一つの側面がありました。それはキリシタン大名という点です。
彼は高山右近に誘われ、洗礼を受けています。
洗礼名レオンとして宣教師の記録に残っています。
蒲生氏郷がレオン?
原型とどめていないけどどうしちゃったの???
こうした人物とどこで会って話をしていたのか。
武器の携帯を禁止し、心を落ち着けて平和を感じながら、そうなったらいいなと思いながら茶を啜る。
少人数、草庵で呑むので密談にはもってこいの場所。
茶室で心を静めて戦争を忘れる。
そんな祈りのような気持ちでいるところに、
「デウス様っているらしいですよ。一緒に武力ではなく信仰で平和な世を作りませんか」
といったかはわかりませんが、何となく引き込まれて行きそうな環境設定ができているな、と思います。
また、茶人とキリシタンを兼ねている大名がちらほらいるのが特徴です。
黒田孝高は黒田官兵衛、黒田如水として知られる秀吉の名参謀ですが、彼も洗礼を受けており、死ぬときにはロザリオを手に亡くなっています。そしてイエズス会に出資し長崎の管区長を支援し博多に教会建設資金を渡しています。印章には「SHIMEON IOSUI」と書かれていました。
秀吉は部下の彼をものすごく恐れていたそうです。秀吉の代わりに天下を治めるとしたら、という問いに対して「徳川家康、前田利家、そして黒田官兵衛」を挙げていました。家臣だったので10万石の小大名という立場でしたが、100万石を与えればたちまち天下を取るだろうと認識していました。
その他洗礼は受けていませんが、細川忠興、前田利家は親キリシタンな大名でした。
結構メジャー級の人物がキリシタン。そして実は茶人、茶室がそれを繋いでいる。。茶会ができる、茶室を作っている重要人物がイエズス会に勧誘されている。
戦国時代、結構ヤバくないですか???!!
ほんの少し、天下が傾いていたら日本は国ごと寄進されてスペイン植民地になっていたかもしれません。
キリスト教、ガチヤバいですから。洗礼を受けた日本人キリシタンが「救われるためにはどうすればいいですか?」という質問に対して神父は「寺を焼いてきたら救われます」と答え、帰り道に寺に放火。寺の破壊。子供達は先祖の墓を暴き破壊。僧侶を殺す。大村忠純が洗礼を受けたときは領民の丸ごと改宗と寺社の破壊をノルマにしています。ルイス・フロイスは『日本史』の記録として有名ですが、「みんな悲しんでいた」と記録しながらそんなことは横目にバンバン寺への放火、破壊を推進しています。真面目な人が洗礼受けたら次の日放火魔。
もう一度言います。キリスト教、ガチヤバいですから。
でも、戦国時代、かなり広がっていたんです。もう戦乱だらけで、みんな苦しくて救われたかったんでしょうね。それはわかるのですが、信じた先には救いがないんです。むしろ筆舌しがたい地獄が待っている。それが植民地化された他国の実態です。
キリシタン大名。どこまで本気で信じていたのでしょうね。
改めて、秀吉ありがとう。。。適切な判断でした!!
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