2018年開成中学校社会①より 近現代史 朝鮮半島情勢
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
突然ですが問題です。
朝鮮にいたことのある中華民国の総統となった人物は?
1.張学良2.孫文3.彭徳懐4.袁世凱
■壬午軍乱
朝鮮内部では、朝鮮エリートの中から開国派が生まれてきました。官僚が近代化と内政変革を主張し始めました。
格差と差別待遇に不満があったところ俸給米不給に対してキレて蜂起した軍人が下層市民と合流し、日本公使館を包囲。日本人殺害事件を起こしました。日本大使館も焼き討ち。日本でも幕末は同様の社会情勢でしたが、開国後の米価高騰により社会が大混乱していたのでした。インフレです。「米よこせ!」ってことですね。
日本は居留民保護を名目として軍艦を派遣し、閔妃政権を打倒し、大院君が再度政府につきました。
しかし日本の出兵に呼応して清国も出兵。大院君はクーデターを指揮した罪で天津に連行。この時閔妃も朝鮮国内に駐屯していた|袁世凱《えんせいがい》を頼って窮地を脱出。軍乱が落ち着いたときには閔妃政権が復活します。
結構ぐちゃぐちゃしてきていますね。
壬午軍乱の後、諸条約がさらに加えられて日・清への従属がさらに深刻化しました。日清双方「俺の支配下だ!」みたいな権益の取り合いですね。こうした中で李氏朝鮮の開国派は年長の穏健派と年少の急進派に分かれます。|金玉均《きんぎょくきん:キムオッキュン》は日本の明治維新をモデルにしました。しかし政権からは除外され、クーデターしか方法がなくなってしまいました。
■甲申政変
開国急進派の若手官僚達。彼らは実際にクーデターを起こします。
背景には清仏戦争(1884年6月)がありました。これで清朝の威信は地に落ち、もうかつての大国清朝ではない、という認識が朝鮮内にも広がりました。
クーデターは閔妃政権打倒を目指し、日本はこれに対して支援を約束しました(竹添進一郎公使)。
そしてクーデター派は甲申政変《こうしんせいへん》を起こします。しかしこのクーデターは3日で失敗。新綱領を発表し、どんなことをするのかという改革案を発表したのですが、清国軍が突如攻撃してきます。日本兵も駐屯していましたが撤退。主導者は惨殺処刑され、閔妃政権は復活しました。閔妃が清国と結びついていたんですね。日本と協力して開国かと思いきや、裏切ったんです。壬午軍乱のときに日本軍は対応できず、袁世凱率いる清国軍が無事保護したからですね。清国を頼るようになっていました。
この決着として、日清両国が事後処理として天津条約を締結しました。内容は「日清両国は朝鮮半島から完全撤兵し、以後出兵する時は相互に確認し合おうね」というものです。これが後の日清戦争にも関わってきます。
李氏朝鮮内部での分裂。そして海外から厳しい重圧をかけられるが、閔妃としては内政統治はしていたい。このトップの判断が徳川慶喜とは全く異なります。閔妃と大院君は親族を暗殺しまくる復讐劇を繰り返し、国庫を浪費し有力な人材を顧みず権力闘争に終始しました。
更に閔妃は巫堂ノリという呪術にハマり、国庫の6倍以上をお布施で浪費!!占い師に金つぎ込んで財政崩壊。かなりヤバいですね。ヤバさの理由が…笑
ロシアの南下政策、イギリスへの警戒などありながら、次第に李氏朝鮮は自国で起こる事をコントロールできなくなってきます。
答え 4.袁世凱
有名人ですが、切口がマニアックですね笑

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