2018年開成中学校社会①より アジアの独立
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
アジアの独立には日本の戦争が大きく関わっています。この辺りは見方によって解釈が変わるので非常にセンシティブですが、
「当時の日本の立場と戦略」
「当事者感覚」
「具体的な事実」
を切り口にみていきたいと思います。善悪の評価はいったん決めつけずに時間軸を戻し、考えてみたいと思います。
さて、当時日本は1945年を皮切りに大東亜戦争を戦っていました。対戦相手はA(アメリカ)B(イギリス)C(中国)D(オランダ)でした。
少しややこしいのですが、日本はイギリス、オランダ、中国に勝ち、アメリカの物量によって負けた、というのが通説です。
日本はシンガポールにいたイギリス最強艦隊を沈没させ、人口7億人だった大英帝国を崩壊させ、現在の国の形にしました。一方後半戦、ビルマ、対インドでは戦線が伸び切り多大な被害を出します。
インドネシアを支配していたオランダは7日間で追いだしました。本国が対ドイツ戦で忙しく、アジアが手薄になっていたものの、300年間支配されていた現地の人々にとっては驚異的な戦果でした。
対中国では奥地に引きずり込まれ、泥沼のゲリラ戦で膠着状態になったものの、個別の戦闘で負けたということはない状態でした。武器、戦力も温存していました。そしてアメリカには太平洋島嶼部の戦いで敗れ、原爆投下で敗戦。これが各地の戦闘状態から見た状況です。
しかし最終的にアメリカに負けたことで、イギリス、オランダ、中国も戦勝国となります。
歴旅はインドネシアの独立戦争を戦ったおじいちゃん達(インドネシア人政治家、元法務大臣、京都府知事林田悠紀夫先生)と直接体験談、戦略の話を聞いていた経験もあり、当時の時代状況を踏まえながら見ていきましょう。
全てのきっかけは日露戦争勝利です。これは
「有色人種が白色人種に勝利した、人類史上初めての近代戦争」
と位置付けられ、アジア・アフリカの国々で狂喜乱舞の状態を引き起こしました。世界が変わった。孫文がヨーロッパから帰国する際スエズ運河を通った際に、現地のエジプト人が喜びながら「日本人か」かと声をかけてきて、日露戦争での日本の勝利がアラブ人ら有色人種の意識向上になっているのを目にして記録しています。漢民族も満州民族に長い間植民地にされていた状態で、宮崎滔天などの援助で興中会、光復会、華興会を集めて中国同盟会を結成しました。ここで留学中の蒋介石と出会っています。日本は福沢諭吉の『脱亜論』が有名ですが、一方で樽井藤吉の『大東合邦論』というのがあります。福沢諭吉は「アジアの悪友との付き合いを改めるべきだ」と主張しますが、樽井藤吉は「日韓は対等連携し互いに発展すべきだ」と説いています。日本では親欧米、親アジアが糾える縄の如く、時代によって入れ替わっています。
アジアの独立を目指し、欧米の植民地支配を終わらせる。この流れをアジア主義、大アジア主義(孫文)と呼び、日本だけでなくアジア全域に広まっていきました。宮崎滔天、頭山満の玄洋社、内田良平の黒龍会などが中国、韓国、インドからの政治亡命者を匿い、独立支援してきました。彼らは日本の政財界に影響を持っていました。また、こうした人々が国内外で動くことで外交戦略としても立ち上がっていきます。
また、戦前の日本には様々な外国人が来ていました。「日本民族は単一民族である」なんて言っていたイメージかもしれませんが、共産革命でロシア帝国を追われた白系ロシア人(共産主義者ではないロシア人)は満州に逃げ込み、ルーブル金貨を鮮銀(朝鮮で流通していた朝鮮銀行の発行通貨)に替えて安全な生活をし、日本にも流れ着きました。神戸はそうした外国人の受入港となっていて、モロゾフチョコレートなどが生まれました(笑)
またロシアの迫害(ポグロム)を受けて逃げてきたユダヤ人、ナチスに迫害されたユダヤ人難民も満州に受け入れ保護、ロシア革命で追われたポーランド孤児を敦賀で保護しました。
同じく反共主義のトルコ民族の独立主義者も3000人規模で来日しており、ユーラシア大陸全域のトルコ民族(東トルキスタン(現在のウイグル)からトルコまで)すべてをまとめようとする汎トルコ主義とトルコ1か国に収まろうとするケマル・アタテュルク(初代大統領)のケマル主義のどちらがいいのか、など喧々囂々の議論を東京でしていました。当時の日本人も初イスラムの洗礼を受けながらも、汎トルコ主義と利害が一致したこともあり支援。山岡光太郎は日本人初のハッジ(メッカ巡礼を達成した人)となりました。代々木のモスクはこんな沿革で立ちました。
1920〜45年まで様々な人たちが日本を頼り逃げ込み、革命運動を起こしてきました。
岡倉天心は「アジアは一つ」と謳いインド独立を支援。孫文を熊本で匿っていた素封家(民間の大金持ち)紫垣隆も「世界は一つ」と謳い平和と統一を提唱しました。
中国大陸で帝国主義的動きもありながら、中国も含めて確実に支援し続けた人達がおり、戦後も関係を持ち続けました。
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