平成29年度渋幕中学校1次社会②より 貨幣問題③ 通貨の価値
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
引き続き通貨の価値を見ていきましょう。
和同開珎の後にも通貨は発行されて行きます。
■通貨の価値
和同開珎は地金の価値に対して政府が定めた価値が非常に高かったため、民間で私鋳銭(贋金)が横行し、貨幣価値の下落が落ちました。見慣れない通貨で米と交換できると言っても信用されていなかった上、信用が落ちていきました。760年に「万年通宝」が発行され、和同開珎10枚に対し万年通宝1枚と位置付けたため、形、重さがほぼ同じの通貨で混乱を招きました。混ざったりまぎれたりしちゃいますよね。
更には神功開宝が発効されましたが、過去の3銭は全部同一価値とされたため、通貨は混乱しました。違うのに同じ価値?訳が分からなくなりますね。
参考までに、時間があったら網野善彦の中世日本史を是非読んでほしいです。中世史が専門ですが、延喜式という朝廷に納められた地方の産物を見ると、こうした物の当時の価値が見えてきます。「日本」という枠組みができる前の日本列島での社会活動を、「現在の日本」の視点から離れて考える上では目から鱗の連続です。
たまに不思議じゃないですか?
「源義経は追ってを逃れて奥州藤原氏を頼った。そこで修業した。」
そうですね、と流してもいいんですが、要するに追手が追いに行けない、別の国だったということです。現代日本の視点からは分裂につながる話をしてはいけない気もしますが(沖縄、尖閣など意図的に「日本ではない」と領土を切り離そうとする勢力もいますので)、古代において全部今と同じ形ということはないというのが事実だと思います。この辺り非常に面白いですね。
「倭国」は実際朝鮮半島と北九州にまたがった国だったと思いますよ。三韓征伐など古代朝鮮半島に1年間に何回も渡航している記述は高麗王朝の正史にも書いていますし、「任那」などは中国でも倭王武を王に任命していること、鉄が取れるため多くの倭人が来ていたことなど記録が多いです。逆に古事記では越の国以北はほとんど出てこない。この状況は、ちょうどギリシアとトルコの関係と同じだったのだと思います。
海を隔てていると別の国、というのは陸の視点です。海洋民族の視点では海の両岸を繋ぎ、まとめることで交易が発展します。
脱線しました。
国に対する税金として「租・庸・調」があります。租は年貢、お米の事です。庸は労働力です。そして調は地元特産品のような産物なのですが、これがかなり多種多様、広範にわたっています。日本は年貢という米が国家の富、税金の対象となっていたと考えられていますが、朝廷に納められていたものが記録されている『延喜式』を見ると、伊豆では海産物、山国では桃や栗など、武蔵国は銅など、現物出資であり且つ種類も様々でした。お米中心主義の日本、というのはある意味妥当ですが、昔は物産そのものが重要価値を持っていました。
通貨については室町時代までに流通は着実に増えていましたが、物々交換にも戻る状態でした。現在でも同じですが、例えば戦争があると通貨が暴落します。国家の信用が裏付けに合って通貨が交換されるのですが、その政府がなくなってしまったら価値はありません。それなら米や布を持っていた方が、食べたり使うこともできるし、交換もできます。実は通貨は平和な時代には平安、鎌倉と流通しているのですが、戦乱期には物々交換に戻ったりしていました。
土地の購入記録を見ると、「お米と野菜で買った」という記録があります笑 (ちなみにマンハッタン島もオランダ人が物々交換で購入しています。そしてニューアムステルダム(現ニューヨーク)ができました)
江戸時代に入らないと通貨の流通は安定定着していきませんでした。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません