平成29年度渋幕中学校1次社会②より 貨幣問題④ 平清盛
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問題です。平清盛が輸入していた通貨は何でしょうか?
平安末期にはどんな経済体制だったのか。日本の中世まではそれほど変わらなかったといえます。中世が、というより、通貨、貨幣というものは希少性と信頼性がないと流通しないんですね。お米や布はそのものに利用価値があるので、交換に使えます。しかし貨幣は常に国家の裏付けが必要となります。政権が不安定になったり、戦乱が起こると価値が大幅に下落します。米や布の方が必要になりますし、持っていてもしょうがないですからね。砂漠では金よりも水の方が価値があります。
しかし平和な時代に安定的に交換できる通貨があると便利です。そしてその信用の範囲によって手に入るものが変わりました。
平清盛は都を福原京に移しました。現在の神戸です。そして港を活用して日宋貿易を行っていました。その中で輸入していたのが宋銭です。平清盛は日宋貿易を取り仕切っていましたが、一から始めたわけではありません。遣唐使廃止後も貿易はありましたし、貿易独占したら大儲けできるんじゃない?!と考えたのは清盛の父、平忠盛でした。もともと太宰府で日宋貿易を行っていたのですが、権限を独占していった平忠盛は瀬戸内海の大和田泊という港を使います。瀬戸内海。939年には藤原純友の乱があり、海賊が大暴れしていました。平家は海賊退治を行っていた。それが瀬戸内海。平家は瀬戸内を知り尽くしているんですね。平安京と近くなった港で平清盛は珍しい品々を扱い財を蓄えました。平家は武士なのに非常に商才に長けた人達でした。日本が製造しないなら外国の貨幣を利用しよう、と輸入しまくった平清盛。これは日宋貿易と貨幣経済の浸透を大いに進めました。
答え:宋銭
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