平成29年度渋幕中学校1次社会②より 貨幣問題⑧ 江戸時代の通貨政策②
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
引き続き江戸時代です。
問題です。新井白石が皇統断絶を防ぐために作った宮家の名前は何でしょうか?
次は新井白石の時代を見てみましょう。彼は正徳の治という文治世時を行います。大名や良民をひっぱたいたりしごいたりする体育会系の将軍もいますが、彼は文化系なんですね。
彼は朱子学者でイデオロギー優先の理想家。理想を掲げ、「正しいこと」をします。
荻原重秀が行った貨幣改鋳を許せませんでした。新井白石からすれば貨幣の質を落とすなんて詐欺に等しい。よし、戻そう。白石は逆に家康の時に作られた慶長金銀と同じ品質に戻す貨幣改鋳を行いました。これが正徳金銀。結果は…
物価は下がりましたが、経済がしぼんで不況になりました。仕事もなくなり、米価も下落。お米で給料をもらっていた武士は貧乏になりました。サムライ没落。
江戸時代の初期と比べて、物の製造も交換、交易も盛んになっていて、経済規模が大きくなっていたんです。物を買いたい、売りたいが盛んになっているのに急に貨幣の流通量を少なくしてしまった。交換しにくくなるので売買が停滞します。これが続いていたら…幕府はもっと早く滅亡していたことでしょう。現実にそぐわない理想論だけではだめですね。当時はなかなか把握できなかったかもしれませんが、学者肌の人が現場の売買が分からずやってしまった感じです。
正徳の治をまとめてみましょう。
①正徳金銀の鋳造。
小判の質を上げたところ不況に陥った。
②海舶互市新例の発布。
オランダと清に限定して貿易していましたが、輸入品支払いのために金銀が国外に流出しまくっていました。そこで貿易額を制限。正徳新令を発布し、オランダ、清の貿易頻度と取引額上限を決めました。
③閑院宮家の創設
当時は伏見・有栖川・桂(京極)の3家だけで、皇統断絶を恐れた白石が新たな宮家創出を建言して実現。この施策のおかげで閑院宮家から光格天皇が即位できました。
④朝鮮通信使の待遇を簡素化
朱子学は身分の上下にうるさいのですが、白石は徳川将軍の権威を高めようとしました。「日本国大君殿下」と読んでいたのをやめさせ、将軍を「日本国王」と呼ぶようにさせました。通信使を御三家並みに厚くもてなしていた習慣をやめ、諸々経費削減しました。
新井白石は経済には疎かったと思いますが、貿易、外交面での倹約などは割と功を奏したのではないでしょうか。オランダは日本の金・銀を狙って盛んに交易を求めてきました。
オランダは日本の石見銀山から出る銀を盛んに仕入れました。面白いことに、メキシコのポトシ銀山が枯渇した後スペイン帝国は衰退。日本の石見銀山が枯渇した後オランダは衰退。銀の産出と帝国の盛衰は一致しているんですね。
通貨を制する者は世界を制す。日本は秀吉の時代にもっと海外に打ち出していってもよかったかもしれません。
閑院宮家も地味に重要です。江戸時代に皇族が出家しすぎて天皇就任不能になってしまい、宮家を創出しました。徳仁様まで繋がる現在の皇統として続いているのが閑院宮家です。徳川家もこの後御三家、御三卿を生み出しますが、発想は同じで、血統を継ぐファミリーを増やしていこうという発想です。
答え:閑院宮家
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