平成29年渋谷幕張中学校社会②より 貨幣問題⑱ 長州ファイブと造幣局②
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
突然ですが問題です。
長州ファイブは明治政府で要職を歴任しました。
彼らのうち4名が付いたポストは何でしょうか?
横浜から出向し上海に就くと、上海の繁栄と100艘以上もの外国軍艦を目の当たりにして、開国へと考えを変えたそうです。前年に密航した高杉晋作の言ったとおりでした。イギリスにつくと、伊藤博文、遠藤謹助、井上薫はユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の法学部へ聴講生の資格で入学しました。当時オックスフォード大学・ケンブリッジ大学は英国国教会信徒しか入れませんでしたが、UCLは自由な校風でした。
長州と連合艦隊の戦い(下関戦争と思われる記事)の報道に驚き、井上と伊藤は1年足らずで帰国を決意しました。
横浜に到着するとガウワーに会いに行き、4か国連合が下関襲撃計画がある事を聞くと、イギリス公使館通訳のアーネスト・サトウを介して公使ラザフォード・オールコックと会見、長州藩論を変えるので停戦講和を依頼しました。結果藩論を変えることができませんでしたが開国へと動いていきます。
さて、残った3名の遠藤、野村、山尾は薩摩藩から密航留学生が来ていることを知って交友。日本人としての意識の萌芽でした。イギリスで薩長同盟の下地ができていったのですね。
さて、日本の造幣局。イギリスからしっかりと貨幣の作り方を教わります。ジャーディンマセソン商会の手引きでなぜか多額の金額支援を受け、留学してきた留学生のうち4名が造幣局トップに就任。作ったのは20円金貨。この重さが、31.3g。イギリスが使っていた1オンス(31.1g)とほぼ同じなのは偶然なのか。
日本にあった純金は20円金貨と形を変え、横浜正金銀行が為替と貿易決済を担当。この金貨は国内にほとんど流通せず、英米への輸入支払いのためだけにつかわれました。金貨が底をつくと銀貨に替わり、日本の金本位制は終了。その後は不換紙幣へと変わりました。
この時流出した金は推定12万トン。現在価値で数百兆円が英米へと流出。
アヘン貿易を回していたジャーディンマセソン商会。その傘下にあったグラバー商会。植民地からの決済送金を担当したHSBC銀行。ここで何があったのでしょうね。
金銀流出のシステムをばれないようにトップを務めていたとしたら。幕末、必死に現場で止めていた金銀の流出。それを大穴をあけて全開放で海外に流出させた明治政府。NHK大河『青天を衝け』では渋沢栄一が造幣局を退職した際「徳川幕府よりひどい」と新聞にリークしましたが、長州ファイブが粛々と実施していたのは日本史上最大規模日本にダメージを与える行為です。徳川幕府が100万の軍を動かさず、自壊しても防ごうとした日本の弱体化を実施。
あるいは日本独立を維持する代償だったのか。
エリートと言っても2種類いますね。自主独立を重んじ、自国と自民族を守っていくエリート。もう一つは他国の支配を受けて国を売り私腹を肥やすエリート。
表と裏の両方を持ち合わせている必要も時にはあります。しかし操り人形は本質的にはエリートではありませんね。

超絶レアアイテム。20円金貨は300万円~1000万円の価値です。
金:銅=9:1ですがほぼ純金。歴旅コレクションに…ないです笑

答え:造幣局長
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