2019年度渋幕中学校1次社会②より 歴史評価見直し問題② 人間の移動
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
本日は人間の移動についてです。
古代の人間の移動は物凄く時間がかかった!?
実際はどうだったんでしょうか。
正倉院にみられる奈良時代の交易。国産品が60%というのはイメージが異なると思います。素材が日本で手に入らないものは致し方ありませんが、それ以外はできるだけ国産化しようとしていたと考えられます。漆などは縄文時代から日本が世界最古で使用が確認されています。文字を持たなかったとはいえ、日本が素材探求、加工技術で劣っていたわけではないことが分かります。(種類などはやはり人口規模が大きく都市化した方が有利ですが)
正倉院よりも早い時代、聖徳太子の夢殿でも四騎獅子狩文錦が伝わっています。ササン朝ペルシアのデザインが入っていますが、この頃は中東ペルシア、現在のイランの情報、更にはギリシア、ローマの情報も届いていました。漢字が入っていることから、ペルシアデザインを強く意識して中国で織られたことが分かります。
ローマで新しく発行された皇帝の銀貨が約1年半でシルクロードの敦煌で届いていたという記録もあり、古代では陸路であっても行く人がいれば想像以上に早く情報は伝播していたと考えられています。もちろんタイミングや人数、情報の多寡はありますが、すごいですね。日本文学の中にも中東の記述がみられます。『宇津保物語』には半ば想像の国としてペルシアが描かれています。遣唐使船が漂着して秘琴の技を習うという物語。波斯(はし)というのが漢字でペルシアという意味ですが、奈良時代の木簡に名前が発見され、中央官僚にペルシア人がいたことは既に明らかになっています。
遠い国は理想郷、仙境の国、と捉えられる傾向があるようです。なかなか現実ではそうもいかないですが、戦争難民で出国する人達からすると、迫害されずに普通に生きていける自然があるだけで理想郷ですね。
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