2019年渋幕中学校1次社会②より 歴史評価見直し問題⑥ 古代日本は後進地域だったのか?!
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
教科書で世界4大文明を習うと思いますが、実はこれって日本だけなんです。アメリカでは9大文明と言われており、「日本文明」が独自性を持って分かれているのが印象的です。定説はないんですね。
さて、大筋中韓から文化・技術が入ってきたという理屈です。しかし考古学資料を見ると違う観点が見えてきます。
■アジアの宝石『翡翠』
韓国ソウルの国立歴史博物館に行くと、高句麗、百済、新羅の王様の衣装が展示されています。新羅王王冠が出土しましたが、勾玉だらけです。事実関係を見ていきましょう。

①『三国史記』『三国遺事』の記述
この2冊は統一新羅王朝を引き継いだ高麗王朝の正史です。紀元前50~400年頃まで倭人が年3、4回攻めてきた、という記述がありますが、日本側に攻めたという記録はありません。
②538年仏教伝来
百済から日本へ仏教が伝来しました。しかし、これは日本との軍事同盟が目的でした。当時の対中国の圧力から、百済は日本との同盟を望んでいました。
③新羅王王冠の勾玉
勾玉は日本では縄文時代から作成が認められています。そして翡翠(硬玉)は新潟県糸魚川(と、富山県の朝日町)しか出ません。ビルマ(現ミャンマー)からの翡翠は軟玉で、鉱物成分的には別物ということが分かっています。
また、勾玉のデザインは日本独自のもので、他国で生産されたものはありません。こう考えると、交易で渡ったか、何かしらの理由で送られたものかわかりませんが、新羅が高級材、威信材としてみていた宝石であり、王権の象徴とするほど日本文化を高く見ていたことが分かります。
④『古事記』に出てくる五十猛神
出雲神話で有名な素戔嗚尊。八岐大蛇退治でも有名ですが、息子の五十猛神と新羅のソシモリという土地に立った、という記述があります。ここから素戔嗚尊は新羅から来た、という説がありますが、同時に複数個所に降臨した記述があるのであまり妥当ではありません。この時の話が日本文化を象徴しています。
素戔嗚尊と五十猛神は新羅に降り立ち、「韓国に金銀(鉄のこと)はあるが木がない。日本には木を植えよう」と埴(泥)で作った船で日本に渡ります。
ここで象徴していることは、朝鮮半島では鉄が出るため鉄器が作れますが、作るための燃料となる樹木が枯渇していたことです。五十猛神は木を「浮宝」と呼んでいます。朝鮮半島では自然破壊が進んだのに対して日本は自然を大切にし、管理していました。
ここからわかる事は以下3点。
①朝鮮半島には木がないので造船が不可能
②木(燃料)がないので鉄はあっても剣を作る事ができない
③埴(泥)船で渡れるほど朝鮮半島は近いという認識
日本の方が軍事的に優位だったことが分かります。
日本は文化力・軍事力で劣っていなかったことが分かりますね。
こうした地域研究を英語発信すべきなのですが両方に強い人がいません。
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