2019年渋幕中学校1次社会②より 水問題 河川⑤―北陸
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
もう試験間近ですね。ぶらりと旅している場合ではない!?
いやいや、基本的な日本地図を起点に様々な角度から考えてみましょう。
問題です。
①北陸で発生した公害問題はなんでしょう。
②金が産出したのはどこでしょう。
③古代アジアで唯一翡翠が産出したのはどの川でしょう。
④江戸時代100万石あった外様藩はどこでしょう。
⑤戦国時代真田氏が治めた群馬県、長野県、新潟県に跨る交通の要衝はどこでしょう。
⑥越後の国を統治していた戦国武将は?
北陸編です。単なる雪国かと思いきや、かなり深いです。江戸時代は北前船が主要交易ルートだったため、日本海航路と川で物流大動脈が成り立っていました。

■黒部川
立山連峰から流れ込む黒部川も黒部ダムで有名です。
歴史的には高志(こし)の国と呼ばれ、『万葉集』にも出てくる地域です。
縄文時代から翡翠の産地で、生産工程の遺跡が出ています。
高志の奴奈川姫が出雲の大国主命と結婚し、武御名方命が生まれたことにより、出雲、高志、諏訪の日本海の国々の繋がりが見られます。(『古事記』より)
■信濃川
長野から流れ込む信濃川により越後平野が作られています東京都の面積に近い広さがあり、一大穀倉地帯です。いまでもお米(コシヒカリ)が有名ですね。上杉家は平安時代藤原氏から繋がる家系ですが、室町時代には関東管領として関東地方を納めていました。戦国時代に北条氏に敗れ、越後に移動。川中島で武田信玄と対峙しました。江戸時代には移封で山形の米沢藩に行きました。新潟は穀倉地帯で日本海交易も可能、江戸時代には江戸を超える人口を抱える地域でした。その豊かさを支えるのがこの信濃川でした。
江戸時代には村上藩・新発田藩・長岡藩・高田藩をはじめとして、三根山藩、村松藩、椎谷藩、与板藩、一川藩、黒川藩、三日市藩など11藩に分かれ、更には天領、旗本領飛び地があり、佐渡では金山があり天領でした。江戸幕府が新潟をこれだけバラバラにしたのは、越後の力を高く評価していたことの裏返しであり、且つ抑えるべき重要資源が多かったためです。
答え
①イタイイタイ病(神通川)
②佐渡島
③糸魚川
④加賀藩(現在の石川県・富山県)
⑤沼田
⑥上杉謙信
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