地震で変わった日本史 天正大地震⑤ 徳川幕府を生んだ大地震
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
いよいよ小牧長久手の合戦です。一部の局地戦のような名前ですが、実はかなり戦地が広がっており、秀吉包囲網も形成していました。
秀吉は賤ケ岳の戦いで柴田勝家に勝利すると、大阪に居城を移します。家臣に所領を与えるとともに、信雄を安土城から退去させました。ここから二人の関係が険悪化し、信雄が徳川家康と同盟を結ぶといよいよ合戦となりました。
家康がすごかったのは秀吉包囲網を形成したことです。その後1590年に秀吉は天下統一を果たすのですが、敵味方の内実の情勢はかなり不安定な天下統一だったと言えそうです。
家康は紀州の雑賀衆、根来衆、四国の長曾我部元親、北陸富山の佐々成政、関東の北条氏政と連携し、同時多発的に周囲から大坂を攻めるように連携します。本田忠勝は三河武士の猛将として有名ですが、各国への同盟書状を送りまくっており、外交、軍略としてもすぐれていたのが分かります。猪武者ではなかったんですね笑
「勝ったら知行は望み通りだよ」と国替えを基軸に飴と鞭で揺さぶっていきました。
家康は長久手において、三河に進軍する秀吉方の池田恒興、森長可率いる軍勢を撃破、戦闘に勝利します。 以後、家康は守勢に徹し、秀吉の大軍を凌ぎます。1/4の軍勢ですが同盟網を作り上げることで、戦争としては家康の勝利、で進んでいきました。
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