地震で変わった日本史 元禄宝永大地震④
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
改元も虚しく起きた超巨大地震の被害は言語に絶するものでした。 正確な犠牲者数は不明ですが、関東から九州という広範囲で20,000人近い男女が死亡し、倒壊、焼失、 流出家屋は80,000戸。
更に地震発生から49日後、世の中を震撼させる出来事が起きました。
富士山の大噴火です。
日本史上に記録される富士山の大噴火は3回あります。延暦十九年(802)、貞観六年(864)、そして宝永の大噴火です。 先の二つは平安時代初期で、八百年以上、年月の隔たりがあります。 富士山が噴火するなど、当時の人々には天地がひっくり返るような大事であったでしょう。 大地震発生の49日後というのも、因縁めいて受け止められたのではないでしょうか。
いや、もうつらい。。。
5日間に亘って噴出が続き、その間、東の麓の村々は闇夜となり、須走村にはスコリアが降り注いで75軒の家を壊し、 多くの村が火山灰に埋もれました。江戸でも火山灰が1月も降り続き、傘を差す者もいました。 噴火と共に誕生したのが側山の宝永山です。
今回のエピソードの冒頭に記しました赤穂浪士の吉良邸討ち入り5年後に出来た宝永山ですから、大石内蔵助は見ていません。 大石東下り、大石内蔵助が浅野内匠頭の仇討ちの為、江戸に向かった途次、彼は宝永山のない優美極まる富士を見上げ、 仇討ち本懐を遂げることを誓ったでしょう。
元禄関東地震から宝永大地震、富士山噴火という空前絶後の災害に見舞われた江戸。なんだかんだで立ち直っていく人間ってすごいですね。
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