地震で変わった日本史 安政大地震④

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

幕末安政江戸地震。この前年11月4・5日、東海地震と南海地震という二つの大地震が立て続けに発生しました。 どちらも、マグニチュード8を超す巨大地震です。
東海地震は駿河トラフが震源地で、安房(千葉県南部)から四国の沿岸地域に津波が発生。
南海地震も津波を起こし、大坂の町を襲っています。
いやひどい。と思いますが、日本はこんな天変地異が定期的にあるんですよね。
「備えよ常に」。

商都大坂の繁栄ぶりは、幕末に来日したイギリス公使、オールコックが日本の全ての港を合わせたよりも賑わっている、 と日誌に書き記した程の街でした。
大坂では前日起きた東海地震の揺れに驚いた多くの人々が小舟に家財を運び込んでいました。 地震の際には船が安全、という間違った情報があったようです。だいぶ間違っていますね。。
まあ、家の中にいて倒壊するよりは安全かもしれませんが。。。
しかし予想外の津波アタック。

江戸は八百八町、大坂は八百八橋と称されたように、町中に水路が張り巡らされていました。 水路は家財が積載された小舟だらけとなったのです。そこへ、無情にも津波が襲いかかります。 津波によって大坂湾に停泊していた大船が水路に押し寄せ、小舟と橋を破壊していきました。 死者およそ600人、水の都は通称の由来となった水路が災いとなって大きな被害をもたらしたのでした。

このような地震被害があったにもかかわらず、「喉元過ぎれば」いつしか関西では大きな地震は起きない、 という都市伝説が生まれます。安政南海地震、阪神淡路大地震など起きています。
人間は忘れる生き物ですね。
過去を長期的にみる観点が必要です。