地震で変わった日本史 戦時中の大震災①

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

天災は平時、非常時に関わりなく発生します。戦国時代は戦争だらけですが、やはり人為とは関係なく発生しています。
戦争という巨大な人災の最中に起きた大地震についてみてみましょう。

 太平洋戦争の最中、立て続けに大地震が日本列島を襲いました。 昭和18年(1943)九月に鳥取で起きた地震は、死者1,813人、全壊家屋7,485軒という大惨事でした。 しかし、新聞の扱いは小さく、ニューギニア島での戦果が華々しく紙面を飾る一面の片隅に、申し訳程度に載っただけでした。 軍部による情報統制ですが、翌年12月に紀伊半島沖で発生した東南海地震、 一カ月後愛知県三河湾で起きた三河地震は統制どころか隠蔽されました。

東南海地震発生の13日前、B29が初めて本格的に東京を空襲、戦火が本土にまで及んできていました。 東南海地震では998人が犠牲になったのですが、多くの遺体は空襲の恐怖下、葬式もままならず河川敷で火葬されたのです。 また、軍部が隠蔽したため救援物資が届くとはありませんでした。

三河地震は東南海地震を上回る1,961人の死者を出します。2つの地震は人々と共に軍需工場を破壊しました。 軍需工場は軍需物資生産を増やす為、機械を置くスペースを少しでも多く確保してありました。 この為、壁や柱を少なくしたことが損害を大きくします。

 軍部は隠蔽に努めていましたが、アメリカはちゃんと把握していました。 軍部の独り相撲で震災後の復旧は遅れたのです。 戦時下の大地震は想像を絶する悲惨な状況を生み出しました。

もはや空爆なのか地震なのかわからないような状況だったかと思います。アメリカはこのことを把握して「地震兵器」のチラシを撒き、日本国内の混乱を狙いました。しかし、ある意味こんな未曽有の大災害に見舞われていても、日本人は冷静に対応したのでしょう。