地震で変わった日本史 戦時中の大震災②

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。

太平洋戦争を振り返ってみましょう。大変な戦いでした。

 太平洋戦争は昭和十六年(1941)12月8日、帝国海軍連合艦隊の真珠湾攻撃によって開戦されましたが、 第二次世界大戦はそれより2年前の9月、ナチス・ドイツのポーランド侵略から始まっていました。 ナチス・ドイツはフランスを含むヨーロッパの主要国を征服、イギリスの大陸派遣軍も一蹴します。 目も眩むようなヒトラーの成功に、「バスに乗り遅れるな」という言葉が陸軍を中心に沸き上がり、 日本はドイツ、イタリアと軍事同盟を結びました。

 ドイツと同盟するとイギリスやアメリカと敵対する、という危惧の声も聞かれましたが、 ヨーロッパを席巻したドイツ礼賛の声によってかき消されます。

 ヨーロッパの戦争とは別に、日本は昭和12年(1937)の盧溝橋事件をきっかけに、中国との戦争に突入していました。 戦端を開いた当初は、短期で蒋介石の国民党政府を降伏に追い込めると目論んでいました。 しかし目論見は外れ、終息の目途が立たない泥沼の長期戦を強いられます。 時局打開に日本はドイツ占領下にあるフランスの植民地、仏領インドシナ(現ベトナム、ラオス、カンボジア)に軍隊を進駐させ、 イギリス、アメリカとの関係を悪化させてしまいました。

 そんな最中、昭和16年の6月、ヒトラーはイギリスとの戦争が継続中にもかかわらず、 不可侵条約を結んでいたソビエト連邦侵略を始めました。 イギリスとソ連、ヨーロッパの西と東、危険な二正面作戦にヒトラーは打って出たのです。

すごいですね。前後で挟み込めるような戦局を普通はしません。
実はこの時ソ連を攻めていれば、その後の日本は状況が大きく変わっていた可能性があります。ただ、この時の一番のネックは石油のなさでした。
「油欲しさに戦争する奴があるか!」と石原莞爾は怒りましたが、当時の日本は中国での戦争継続のためにも石油が必要なのでした。
結果英米蘭も敵対することになります。