平成28開成中社会①より 関東の歴史② 川と地域

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①     徳川家康が関東八州に来て利根川を曲げました。どこで曲げたでしょうか?

問題です。

②     利根川を曲げた理由は何でしょうか?

さてさて。関東は東京が首都なので多くの人にとってもなじみ深く、現在の日本の中心と言えます。神奈川県、千葉県、埼玉県を含めて首都圏を含めて全国的にも知られている地名が多いと思いますが、実は江戸幕府ができるまでは未開の地でした。
未開の地、というと言いすぎかもしれませんが、あまり歴史上日の目を見るところではありませんでした。この良し悪しも含めてお話ししましょう。

なぜか?というのが重要なのですが、関東平野は「大湿地帯だったから」です。

昔は利根川が東京湾に流れ込み、周りは湿地帯が広がっていました。そうなると田畑は作れず、人口が養えません。移動するのも不便です。そんなわけで開発が進みませんでした。

これはある意味縄文時代から続く地形の問題で、7000年前には「縄文海進」と呼ばれる海水面が高くなった時期があり、千葉はもはや「島」でした。海は埼玉北部まで入り込んでいたのです。更に関東は数万年前の富士山の火山灰でできた関東ローム層と呼ばれる火山灰土でできた土地で、水はけが悪く稲作に向いていません。

徳川家康が豊臣秀吉に配置換えで関東八州を任されたとき、これを見て人為的に流れを切り替えました。この水路が会の川です。現在の埼玉県羽生市に位置します。
これにより低地が陸になり、農耕が可能な土地になりました。

関東ローム層はもともと稲作に向かない台地を形成していましたが、千葉の落花生、サツマイモ、群馬のキャベツ、コンニャクイモ、キュウリ、栃木のイチゴなど、今でも畑作の方が有名ですね。逆に谷地形は昔の河川だったこともあり、谷津田が作られ稲作が営まれました。

答え:①会の川(あいのかわ)

②新田開拓のため