平成28開成中社会①より 関東の歴史③ 川と地域

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。

問題です。

江戸時代以前、武蔵野国と下総国の境界はどの川だったでしょうか?

土地と歴史、近所の歴史資料館を回ってみるといろいろと記述が残っているのですが、教科書や資料だと意外と目にすることが少ないですね。近くの資料館など興味がなくてどこにあるかもわからないことが多いですが、自分の住んでいる街について意外と詳しく記録が残っています。実は遠くからわざわざ訪ねてこないとわからない情報も徒歩圏内にあるかもしれません笑

さて。『隅田川』という能楽の演目があります。渡し船の船頭と、母の話ですが、我が子を人商い(人攫い)に誘拐されてはるばる京の都から無一文でも下総国まで船に乗りたい、という話です。
下総国というのは今の千葉県です。
あれ?隅田川を渡ったら千葉?
近くに住んでいる人は不思議に思うかもしれません。
そうですね。現在では中央区から東に墨田川を超えると江東区です。その先にはまだ江戸川区もあります。昔は墨田川が武蔵国(今の東京)と下総国(今の千葉)の境目だったんです。両国は墨田区にありますが、これは武蔵国と下総国の境目だから両国という地名だったんですね。江戸時代は火事が多発していましたが、明暦の大火の頃には橋がなく被害者が出ました。大火後に両国橋がかけられ、川開きとして行われたのが隅田川の花火大会でした。

当時の人にとっては花火は大火で亡くなった家族の魂のように感じられたのではないでしょうか。精霊しょうろう流しと同じような感じですね。

墨田川には千住大橋も掛けられます。南千住と北千住がありますが、似た地名ながら今も川を挟んで全く違う街ですね。北千住は栄えていますが、南千住は駅を降りるとどんよりしています。(失礼!)
ここは昔小塚原刑場と回向院がありました。橋本佐内や吉田松陰など、錚々たる人物のお墓があります。歴旅は墓マイラーなのでいろんなところにお墓参りに行きますが、この地域は都内のミステリースポットです。吉原の遊女が亡くなると投げ込まれた、通称投げ込み寺や首無し地蔵など。その後もドヤ街と呼ばれる日雇い労働者の集積地として発展し、現在は外国人が泊まる安宿街に変貌していますが、江戸時代の境界であまり縁起のいい土地ではないです。歴旅の弟が住んでいたのでたまに散策していましたが、駅に降りると妖気を感じます笑

利根川は本流を太平洋側に流れ、現在は支流の荒川、江戸川が都内を流れています。江戸の町の発展とともに、千葉県との境界線も東に移動したのでした。

 答え:隅田川 両国