条坊制から考える古代の都について③

どうも。歴旅です。
今日もぷらりと歴史旅。

前回までは地理的要因から遷都を考えてみました。
自然環境。戦争などの社会環境。いろんな理由で人は引っ越すのです笑
さて最後は、社会環境の変化による内部要因からです。
それは、「怨霊から逃げるため」笑

■怨霊
これは現代的にはにわかには信じられないですが、文献も、儀式も、当時の記録も、事件も、祀った痕跡も残っているので、当時は当たり前として存在していたロジックとしてとらえます。

天皇家と貴族、結構祟り(たたり)で死んでいます笑

例えばちょうど日本書紀を編纂していた頃の藤原不比等の時代、長屋王という親王がいました。当時不比等の息子たち、藤原四兄弟が権力を固めようとしていた時ですが、長屋王は教養、政策実行力、人格ともに優れていました。しかし優秀且つ皇位継承権を持っていたことが藤原氏にとって目障りでした。漆部君足(ぬりべのきみたり)と中臣宮処東人が「長屋王は密かに左道(呪いなどの呪術)を学びて国家を傾けんと欲す」と密告したのを理由に、藤原四兄弟は六衛軍で取り囲み、長屋王は自殺に追い込まれます。

はい。冤罪です。
今もありますね。

 当時のことは『続日本紀』にも誣告(ぶこく)と記載されており、藤原四兄弟が無実の罪で殺したことは公然の事実だったようです。
 この翌年、藤原四兄弟は全員突然天然痘で病死します。流行病なので普通に感染して死んだのだと思いますが、人々はそうは捉えませんでした。「これは長屋王の怨霊に呪われたんだ」と噂しました。

 日本古来の歴史の中には、この怨霊の歴史が裏のロジックとして出てきます。(教科書には書いてないですよ笑)
優秀でまじめで血筋もいいエリートが、時の権力者に妬まれ、権謀術数によって悲惨な形でハメ殺される。よくない事ですが、ままある事です。ついでにもれなく事実や功績は改竄されます。

勝てば官軍、俺たちは正義!と。
負けた奴らが書いてるのは全部偽書!と。
ここには歴史的パターン(法則)が存在しています。

対象:天皇家(遠戚)など血筋がよい人物
政治手腕で出世→無罪なのに政敵にはめられる
→惨殺・流罪・無念の死→祟る
→政敵がバタバタしに始める→雷、洪水など天変地異が起きる
→怨霊の仕業だと噂される→祀られる→神になる
→神社ができて現在も祈りの対象に

日本の歴史、特に古代史の中には、このパターンが何回も再生されています。
ここでは「祟る鬼=神」と認識されており、日本では鬼でも神でも善悪で一方的に決めつけられていません。1人の人間が完全に善、完全に悪なんてことがないのと同じです。
どちらにしても人間が死して後も、現世に多大な影響を与えられるものとしています。
これを御霊信仰(ごりょうしんこう)と呼んでいます。
日本の伝統的な概念ですね。

先ほどの長屋王もハメ殺され、一族滅亡させられています。
菅原道真公もハメられ太宰府に飛ばされ悲しみのうちに亡くなりましたが、清涼殿落雷事件などで政敵に雷を直撃。

ドーン!バリバリと政敵めがけて雷をクリーンヒット!

更に大火災を起こすなど、狙ってもなかなかできません。
讃岐に配流された崇徳天皇も怨霊化。

こうなってくるとあるあるパターンになってきます。
日本の歴史特性として法則が生まれている。

中国の易姓革命と同じですね。
宗教団体×武闘集団でもある民衆が蜂起して皇帝を殺し新王朝を作る。

日本では
罪なき敗者が歴史と人格を改竄され鬼とされる
→祟りで政敵が悩み、病み、災害に見舞われる
→神として祀られる

「いやいや、そんなの非科学的だよ。因果関係ないじゃん。」
と思うかもしれませんが、事実神社ができて、1000年以上人々はお参りに行ったり願掛けに行ったりしています。

神社、建てるの大変ですよ?
神主雇ったり、鎮魂したり、祭り運営したり、めちゃくちゃ多大な労力かかってますよ?
1000年も笑

実際には天変地異と祟りは因果関係がないかもしれません。
しかしそれを信じてきた。直接関係ない人々も、霊験あらたかだと祀って来た。かなりの労力を割いて支えてきたのが事実です。

菅原道真は天神様として神社まで作られて現代でも祀られています。
滅亡させられて、そのあと聖人として祀られているという点では聖徳太子も。。。。?
歴代天皇は即位すると今でも聖徳太子のお参りに行くそうです。なんででしょうね。因果関係までは掴めないですが。

脱線、かつ有名な話ですが「いろはにほへと」にも暗号があります。

いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす

初めの7文字目で切って最後の字だけ縦に読むと「とがなくてしす=罪なくて死す」になります。

そもそも一字もかぶらず50音を歌で表すこと自体すごいですが、更にメッセージを練りこんだんでしょうか。だれがこれ作ったんでしょうね。。かきつばたみたいな和歌を詠んだ歌人でしょうか。(「からごろも きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」 の一番上だけ読むと「かきつばた」になる )

歌として超絶技巧の作品です。
そして現代まで伝わる事を残したのか。

怨霊の話、長くなりましたが、最初の平安京遷都に戻ると、桓武天皇、「俺祟られちゃったんじゃないか?」と思って遷都したという話です。

 平城京では奈良の寺、僧侶と関係が密接であり、桓武天皇の弟である早良親王(さわらしんのう)は親王禅師と呼ばれ、東大寺にも影響力が強い人物でした。もともと母方が下級貴族だったため皇太子になる考えはなかったのですが、のちに立太子となります(天皇候補になる事)。しかし、造長岡宮使・藤原種継の暗殺事件に連座する形で流罪。また冤罪でハメられてますね。断食を始めて餓死するのですが、本人が抗議で実施したのか、桓武天皇が直接手を下さず処刑したのかはわかりません。
しかしこの後から不審死が続きます。

・桓武天皇の后や生母らが病死
・皇太子に立てられた安殿親王(あてのみこ)も病死
・飢饉や疫病が大流行

早良親王の怨霊キター!!やべぇ祟られる!!と恐れ慄く日々。
古代日本の怨霊を恐れる度合いは現代の比ではなく、早良親王には崇道天皇という天皇号をおくり、その名誉回復につとめました。
そして桓武天皇は新しい都の造営とさらなる遷都を決めたのです。
長岡京は10年足らずで遷都することになったのでした。

 現代的にはピンとこないかもしれませんが、こうしたロジックはこの時代を通底しています。そもそもこの時代仏教が力を持った理由も、オリジナルの仏教とは関係ない、まじない仏教だからです(雑密(ぞうみつ)といいます)。
祈祷することで怨霊や疫病に干渉できる。
認識の世界から現実世界を変えられる。
呪った罪で攻められたり、怨霊退散の祈祷で救われようとする。
移動の方角で縁起が悪い日時と方角を避け移動する。
こうした工夫(?)が随所に見られます。もはや日常です。
偉い人から一般人まで、当時はまじめに信じていた。

ひょっとするとこの怨霊には、民衆の願いが込められているのかもしれません。
現政権にはまともな政治をしてほしい。
私腹を肥やし権力を独占する政治家を懲らしめてほしい。
鬼は決して悪ではない。だから民衆に支持され、現代でも神としてまつられているのだと思います。なまはげも、時の政権に悪と貶められた地元のご先祖様なんですね。だから鬼なのに、子供の心配しに出てくるんです。
「悪い子はいねーが〜?」って。
日本の鬼は、必ずしも悪ではないんです。

現代でも同じかもしれません。日本の独立を願い動いた首相は短期政権で事件を起こされ悪人に、米中の利益になる首相は長期政権に。。。

大戦中は
「死して護国の鬼となる」
なんていう言葉もありましたが、国家を食い物にする悪から子孫を守る、死後も敵を倒す、という意味では古代からちょっと前のじいちゃんの世代まで繋がっている概念なのかもしれません。

護国の鬼の効果範囲は古代、国内限定なのでしょうか。。。
そろそろコロナの怨霊が出るのかな。。。?

Uncategorized

Posted by rekitabipapa