平成28開成中社会①より 関東の歴史⑧ 源氏の台頭

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。

問題です。
八幡太郎義家が有名になった東北の戦いの名前は?

平安時代末期。武士化の時代がやってきます。
大和朝廷は全国制覇するために、東北まで軍隊を派遣しまくります。

有名なのは坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ。公家にして武官ですね。公家なのに戦える、というのは不思議に思ったかもしれませんが、平安時代の公家は戦闘力が高かったんです笑

その名の通り征夷大将軍。のちの名前だけの官職ではなく、東夷征服が仕事です。

朝廷からすれば頼りになる将軍ですが、もともと昔から住んでいる蝦夷からすれば災厄以外何物でもありません。どこか知らないところから来た軍隊がはるか昔から先祖代々の土地に乗り込んでくるんです。この時戦った蝦夷として、阿弖利爲(あてるい)が有名です。
和睦の場が裏切られて討ち取られてしまいます。一対一の名誉の対決を重んじた時代。結構卑怯者ですね。

仙台の多賀城たがじょうなどは東北征伐の出先の砦として作られました。こうした地名が東北に多く残っています。胆沢城いざわじょうは東北統治の鎮守府として作られました。

こうして東北征伐は進んでいきました。

この後前九年の役が起きます。

11世紀には東北地方出羽国(現在の秋田・山形県)は清原氏、陸奥国(現在の青森、岩手、宮城、福島県)は安倍氏が統治していました。彼らはもともと俘囚(ふしゅう)という蝦夷出身者でした。(諸説あり)

前九年では源頼義が着任し、安倍氏と戦います。開戦、休戦など挟みますが、安倍頼時、跡を継いだ安倍貞任あべのさだとうは激しく交戦。朝廷からは支援はありませんでした。

そのまま黄海の戦い(きのみのたたかい)に突入しますが、安倍軍が圧勝しました。この時源氏で名を馳せたのが源八幡太郎義家でした。

このような状態で壊滅的な打撃を受けた朝廷軍ですが、朝廷からは手柄に見合った恩賞もなく、兵の補充も支援も何もないため、源頼義は関東以南の武士に働きかけ、源氏の私軍を編成していきます。これが坂東武者になっていきます。
そして出羽の清原氏を味方につけたことで形勢逆転。安倍氏は滅亡します。

後三年の役では清原氏と戦い、最終的には源義家が勝ちます。

しかし朝廷からは、これは源氏の私戦と捉えられ恩賞も何も出ず、請求し続けるもなしのつぶてでした。源義家は部下達に十分ねぎらうために私財を投げ打って報いました。これが坂東武者の結束を高め、源頼朝の挙兵にまで繋がっていきます。

答え:黄海の戦い