平成28開成中社会①より 関東の歴史⑨ 保元・平治の乱

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関東の話がメインなのでずっと関東に話を振っていますが、この時代瀬戸内海でも藤原純友の乱が起きます。瀬戸内海と言ったら海賊ですね。この討伐に平氏が活躍します。朝廷で力を持った、いわゆる平家は伊勢平氏と呼ばれる系統で、平氏の中のごく一部です。坂東平氏は全然優遇されないんですね。

 さて、長く摂関政治を独占し続けてきた藤原氏や、天皇即位後も権勢をふるった上皇の院政も衰退しはじめ、源氏と平氏が台頭し始めました。

保元の乱では崇徳上皇後白河天皇が対立。源氏と平氏がバトル、ではなく、それぞれの親戚同士がそれぞれの敵味方に分かれて戦います。

源義朝、平清盛は後白河天皇につき、一気に立身出世の道筋を開きます。しかし義朝は敵方に付いた父、弟達を、清盛は叔父を自ら処刑することになりました。

ここも源平合戦ではなく、源平VS源平合戦ですね。

そして平治の乱では味方同士だった源義朝と平清盛が戦います。
原因特定は難しいのですが、信西しんぜいという後白河天皇の側近が平清盛を優遇したことが発端と言われています。

この辺り、天皇家もバチバチのバトル、藤原氏も衰退しつつも復活を狙っており、敵味方入り乱れています。政権が安定していない状況でした。

平治の乱で平清盛は源義朝に勝ち、平家の世を盤石にします。源義朝の長男次男は処刑。三男頼朝は助命され伊豆へ配流。乙若、牛若など小さい子たちは寺に預けられました。清盛、優しいですね。中国的には一族郎党皆殺しにしないと、反撃を食らうことになります。

う~ん。歴史的には正しい。。

そして地味に重要なのが後白河天皇ですね。もともと父の鳥羽法皇には「類なき愚か者」として扱われ、後白河天皇は中継ぎとして即位し、息子二条天皇が天皇になる予定でした。後白河天皇は「今様狂いいまようぐる」と言われるほど毎日踊り謳い、享楽的に過ごしていました。崇徳上皇は「文にあらず、武にもあらず、能もなく芸もなし」と酷評。二条天皇は息子にもかかわらず優れた人物で生涯対立したままでした。

しかし安定政権を築き、台頭する武士を手玉に取るような動き。院政を敷き30年天皇に君臨し続けた手腕は優秀ではないでしょうか。
源平合戦で注目される武士の裏に見え隠れする、影の主人公ですね。