平成28開成中社会①より 関東の歴史⑭ 鎌倉幕府成立へ
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。
源平合戦、実質上は平平合戦ですが、平清盛一門を倒し、源氏の世となります。源頼朝が伊豆に流されますが、北条氏の助力を得て平家打倒へ立ち上がります。
坂東武者を取りまとめ、坂東の世を作る。そんな理念を掲げて平家から地方へ派遣される役人を不要に、鎌倉幕府が認めれば領地が認められるようになるんです。
源頼朝は伊豆で立ち上がりましたが、さっそく石橋山の戦いで平家の大庭景親に敗れます。そこから房総半島に向かい多くの坂東武者を集めます。そして富士川の戦いで水鳥の羽音に驚いた平家は逃走。ここから本格的に中央に攻め上ります。源頼朝多勝ち上がったことで、源義経など奥州で修業していた武将も集まりました。源義経は幼名牛若丸。武蔵坊弁慶を従え、多くの軍略と奇襲攻撃で平家を壇ノ浦で滅亡させます。途中屋島の合戦では那須与一が弓の名手として名を挙げ、鵯越の戦いでは崖の上から馬で駆け下り平家軍を倒しています。
信州長野からは同じく木曽義仲が倶利伽羅峠の戦いで平家を破り、一時京都まで入りますが京都の治安回復が遅れ、皇位継承への介入などで後白河法皇を不仲になり京都を追われます。最後は源範頼・源義経の軍勢によって粟津の戦いで亡くなります。巴御前との悲劇の物語ですね。
源義経は平家一門を壇ノ浦の戦いで打ち破りました。幼い安徳天皇と建礼門院は瀬戸内海の水の中へ。この時三種の神器も水没します。そんな義経も最後は兄源頼朝に追われ奥州まで闘争。最後は衣川の戦いで敗れます。武蔵坊弁慶、仁王立ちです。
そのまま源頼朝は奥州藤原氏を滅ぼし、鎌倉幕府を作ります。
鎌倉からほとんど出てこずに平家討伐に大功績のある源義経を討伐している源頼朝、子供の頃には偉そうな上に何もしていない人物という印象でした。しかし重要なのは武士全体に対しての土地を与える任官権(恩賞機能)と裁判権であり、朝廷からこの権限を切り取る事でした。戦いに勝つことと軍事力は極めて重要ですが、源頼朝は政治機能を作る事で次の時代を作ったのでした。
武士のための新秩序を作ったと言えますし、京都からすると秩序破壊者ですね。バシバシ惨殺、粛清されまくる鎌倉は怖い…
極道の世界ですね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません