平成28開成中社会①より 関東の歴史⑮ 諏訪と北条氏

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
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少し視点を変えて信州諏訪から平安、鎌倉の動向を見てみましょう。
地域からの切口もあるかもしれませんね。

源頼朝は征夷大将軍となり鎌倉幕府を作ります。しかし2代源義家、3代源実朝を経て、源氏政権は3代で途絶えます。

頼家はあまり出来が良くなかったようで、母北条政子の注意を受けています。その後は北条氏の刺客により暗殺されたといわれています。
幼い実朝が征夷大将軍に就任しますが、実朝はどちらかというと歌人として歴史に名を残しています。

さて、信州諏訪は山岳地帯で、古代から中央から逃げてきた人が逃げ込んだり匿われたりしてきました。『古事記』に出てくる出雲の国譲り神話では、武御名方神たけみなかたのかみが最後に諏訪に逃げ込みます。木曽義仲も諏訪から平家討伐に出ていますが、親の代で関東から逃げ込みました。

諏訪大社はかなり古い歴史を持ち、ある意味大和朝廷よりも古いかもしれません。戦前は天皇は現人神あらひとがみ(生きている神様)と言われていましたが、諏訪の大祝おおほうりという神官も現人神という位置づけでした。先ほどの武御名方神の子孫が大祝おおほうりを務めていたんですね。
(もう少し細かく見ると諏訪大社は上社と下社で違ったり、だいぶ複雑なのでここでは簡略化します)

諏訪の龍神様はもともと農耕神狩猟神などの機能を持っていたのですが、諏訪の武士団がかなり強く、武将ではなく神社が戦いに行っていたんですね。武御名方神は負けて諏訪に逃げ込んでいるのに、軍神となっていきます笑

続く