平成26年桜蔭中社会② 繊維産業問題⑦ 絹織物

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。

図表貼ると一気にページ取りますね。必要なんですが長くなるので切ります。今日は続き。

■絹
絹は何からできているでしょうか?
蚕の繭ですね。桑の葉を消費し、蚕部屋を作り、たくさんの繭を煮て糸にします。(臭いです)
製糸業って何ですか?という問題も出るかもしれませんね。
紡績業と製糸業の違い。紡績は綿糸や毛糸を紡ぐことで、製糸業は生糸(絹糸)を作る事です。漢字にすると似ていて混乱しますが、作業工場のイメージを持つと全然工程が違うことが分かります。

日本では生糸を中心に産業化していきました。国内では綿花がそれほど育てられないからですね。明治以降産業化で富岡製糸場を作りました。「製糸」ですね。横浜開港以降、日本が欧米に輸出商品としていたのも絹織物でした。そしてそれを強化するために製糸場も作る。当時日本の絹織物は中国と比べても優秀でした。ちなみにこの製糸場をはじめに始めた場所は諏訪でした。しかし物流と貿易の利便性から群馬の富岡製糸場に技術と機会が移転します。

そんな環境だった日本ですが、1882年に大阪紡績会社という企業が誕生します。渋沢栄一が携わった企業ですが、ここから日本でも紡績業が発展していきます。機械紡績で生産できるようになり、15年後の1897年には綿糸輸出量が輸入量を上回ります。

ここにもインドが関係します。中国の綿花もありましたが細い糸が作れずなかなか機械化できませんでした。しかしインドに調査隊を派遣し、日本で綿織物の原料となる綿花を入手することに成功したのです。日本とインドの関係が産業面で結びつきました。

ここでのポイントは
①綿織物が輸出産業になったこと=日本が豊かになる基盤を作った
②インドとの人的経済的関係構築

輸出するか輸入するかはものすごく大きな課題です。輸入は貿易収支で赤字要因になります。本来輸出を増やして輸入は少ないに越したことないです。それだけ海外に富が流れ出すことになりますから。この観点から今の日本の構造もよく見てみましょう。何を輸入し、何を輸出しているか?時代でどう変わったか?今は何が大切なのか?