開成中対応 東京問題⑥ 佃島

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今日は佃島。月島のすぐ隣ですね。江東区から中央区の海沿いは多く橋が架かり、当時は海でした。現在では陸地と区別がつかないほどフラットな橋が張り巡らされていますが、地図で見るとやはり島です。細かい島がたくさんあるんですね。それが徐々に埋め立て地によって陸地化してきています。

さて、佃島ですが、これは江戸初期についた名前です。
徳川家康が江戸に入城後、摂津国(大阪)の佃村から森孫右衛門一族と漁師達を江戸に住まわせ、彼らが幕府から拝領した砂州を埋め立て、漁業基地としたことに由来します。

これは佃煮などの海苔を養殖する技術を持っていたため、
東京湾の漁師を増やし人口が増える江戸の町の食料供給量を増やすため、などの経済的な理由で語られています。

しかし一説には東京湾内に入り込む不審船をマークする海上保安庁の役割だったともいわれています。漁師は仮の姿、実は徳川幕府に仕える海の隠密(忍者)だったともいわれています。

江戸の町の盤石の布陣を考えると、徳川家康が海から攻められる可能性を放置しているとは考えにくく、わざわざ連れてきているところを見ると信頼していた海の民だったことが分かります。