平成25年桜蔭中社会①より 街道
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。
道の歴史地理。実はこれだけで本が30冊以上出ているくらいの大きなテーマです。司馬遼太郎の『街道をゆく』ですね。
今日はそこまでできないので全体像を展開し、詳細は別の機会にしましょう。結構試験で出てきていますね。街道と宿場町から日本の都市と地方の関係が見えるからです。
古代から道はありましたが、大きな街道が展開されたのは律令制が制定され、駅伝に馬と宿場が配置されたころです。租税の聴衆をスムーズに行うためにも必要でした。平城京から繋がる奈良街道です。
別途寺社などの信仰を遠くから集め自然発生的にできた道もあります。高野街道、熊野古道などですね。
江戸時代になると五街道ができます。
江戸への参勤交代でも使われます。そして宿場町が各地に配置され、関所で出入りを管理していました。
「入り鉄砲に出女」と言われていましたが、要注意案件です。
入り鉄砲は国内に武器が持ち込まれるとテロ発生の可能性があるからです。出女は国内重要な地図や情報を女が外に持ち出し情報漏洩するからですね。江戸時代、平和と見せかけて結構セキュリティは厳しかったです。今の日本は…
さて、五街道ですが、主要な5つは
東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道です。
これは今の新幹線や自動車ルートとも一致してきますし、モータリゼーションの変化によって廃れた道もありますが、未だに活用されていると言えます。
東海道五十三次も有名ですね。江戸から京都までの500㎞の道のりです。日本橋から小田原、駿府、浜松、桑名、草津を超えていきます。
日光街道は日本橋から千住を経由。宇都宮、今市を経て日光へ。
今も東武鉄道では下今市が日光と鬼怒川の分岐点ですね。
奥州街道は宇都宮から分離して白河へ入ります。白河の関は松尾芭蕉も俳句で呼んでいますね。
中仙道は山の中を抜ける道です。日本橋から高崎、下諏訪、木曽路の妻籠を経て草津(滋賀県)までの六十七次。草津、大津は大きな宿場だったので、これを足して六十九次とも言いました。
甲州街道は内藤新宿から八王子、甲府を経て下諏訪で合流します。
これは特急あずさで行く道とほとんど一緒ですね。新宿発松本行。自動車道もほぼ同じ路線です。
この街道になるのは、山をよけていくと自然につながる道なんですね。自然の地形と合わせて道は考えましょう。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません