平成25年桜蔭中社会②より 修学旅行問題⑥ 古墳時代

5月 5, 2023

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。

古代史では中国地方はまさに中心地域。
大陸からの往来もあり、巨大政権ができた地域でした。
日本海交易の流れも見逃せません。
それでは設問と絡めながら見てみましょう。

造山古墳つくりやまこふんは全国で4番目に大きい古墳です。
岡山県にあります。ちなみに岡山県にはもう一つ総社市に作山古墳があります。どちらも「つくりやまこふん」ですが同じ音なので「ぞうざん」古墳、「さくやま」古墳と呼び分けています。
こちらは当時の吉備政権があったとされる地域。天皇家に匹敵する王権がここ吉備にあったのではと言われています。
ちなみに日本最大の古墳は大仙陵古墳(大阪府堺市)、二番目は誉田御廟山古墳、三番目は上石津ミサンザイ古墳(どちらも大阪府羽曳野市)です。ちなみに関西ばかり古墳が強調されますが、群馬県太田市にある天神山古墳も五番目くらいに入る規模の古墳があります。
上野こうずけ下野しもつけの二つの毛の国、北関東にも巨大政権があったことが伺えます。

話を吉備に戻すと、『古事記』の世界で瓊瓊杵尊《ににぎのみこと》が高天原から天孫降臨しましたが、それ以前に大和地域に天孫降臨している饒速日にぎはやひのみことというのがいます。
「ヤマトに栄えている地域があるから攻めよう」というのが東征の話ですね。このニギハヤヒの子孫が物部氏、吉備を中心にした豪族だったというのが考古学と歴史文献から繋がってきています。

ちなみに出雲大社で有名な島根県では前方後方墳が出てきます。
特殊ですね。ここでは別の葬儀スタイルが取られ独自文化圏があったことが分かります。
この古墳が時代を経るにつれて少しずつ前方後円墳になっていきます。
『古事記』の出雲の国譲り神話とリンクしてきます。
どこが出雲を支配していったのか。詳細はまだ研究中ですが、吉備、丹波などの近くの勢力が有力視されています。