鎌倉仏教への流れ④ 奈良仏教

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。

日本に仏教が広まっていきましたが、いろんな過程がありますね。
ありがたいこともあるし、いいこともあるんですが、結論を言うと日本の仏教は完全にジャパナイズしてしまっていて、オリジナルの仏教とは別物です。それでいいんだと思います笑

さて、仏教もいろんな流派があって、様々な派閥が生まれてきます。
聖武天皇が752年奈良の大仏を建立しましたが、これは疫病大流行の時代に人心を落ち着け大衆救済を求めたからでした。
奈良の大仏様、はじめは黄金に輝いていました笑 戦乱や火災で焼け落ちて今の姿になっています。

さて、この頃の仏教ですが、奈良を中心としたため南都仏教と呼ばれます。
六宗派あったのですが、共通しているのは、
①国家鎮護のための仏教
②天皇家・貴族のための仏教
③まじない的ご利益を求める

というところです。
その後最澄天台宗を開き、空海真言宗を開きます。
密教というお経だけではない、実践を含む仏教が日本に到来しますが、これもまた貴族仏教的性格を免れず、おまじない的祈祷が中心となります。

更には平安末期は「末法の世」と呼ばれていました。お釈迦様が入滅(死んで)してから1000年経って、世の中が荒れ果てると思われていました。歴旅の子供の頃も西暦2000年になったら世界が滅びると言われていました笑(ノストラダムスの大予言

結果的にそんなことは起こらなかったのですが、世の中事件や災害が起こるたびに信じられるものです。
平安末期には仏教は朝廷や貴族のためではあっても、一般大衆は救いのない飢餓や混乱、戦争に巻き込まれまくる時代となっていました。なんとかせねば、と思ったお坊さん達が出てくるんですね。