2021年武蔵中社会より ~メディア問題④自由民権運動2~
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。
昨日の続き。
民主主義の代名詞であるフランス革命はギロチンから始まりました。
さて、時代を経て「王族VS庶民」という構図はマルクスによって階級闘争の歴史という概念で認識されました。この階級闘争の歴史によって人々は進歩してきたという話、マルクス史観と呼ばれます。
欧州では確かに王侯貴族との戦いによって権利を勝ち取ってきました。
「王族と戦って収奪(税金)のない庶民の平和な社会を作ろう!革命だ!」
というのがのちに左翼と呼ばれる人々の考え方です。
不思議ですね。平和を!といいながら平和に暮らしていた金持ちを襲撃して富を奪っていくんです。その人たちは暴力以外の努力したんでしょうか。
もちろん重い税金などあったかもしれません。
どうしようもない生まれの環境もどうしたってあります。
一方で同じ環境でも自分で産業を起こし、企業化している人たちもいます。
日本のチェーン店やJA農協の仕組みなどはもともとの発生を見ると貧しい農民、小売業を救うために考えられた形跡が見られます。
しかし大半は労働組織など貧困層を取り込み反政府運動につながっていきました。自分で学び、働き、蓄財していく方が健全ではないでしょうか。
話を日本に戻します。
「みんなが自由に議論を戦わせ、国の意思決定ができる世の中に!」
こう言い始めたのは板垣退助など、士族でした。
江戸時代でも郷士など下級武士ではなく大名に謁見できる上級武士です。
あれあれ?「士農工商」という江戸時代のトップの階級が、みんなで議論しよう、といっています。さっきの階級闘争の話が成り立たないですね。
農民が戦って権利を手に入れたわけではないんです。
これには背景があります。当時明治政府ができた当初は旧薩摩藩と旧長州藩出身者が要職を占めていました。山形有朋や井上薫など、汚職と賄賂のオンパレード。明治維新を進めていた勢力としては薩長土肥、土佐藩や肥前藩などもいたんですね。この4藩も要職に選ばれていますが、言い方を選ばなければ「俺たちにももっと明治維新の分け前よこせ!」だったのかもしれません。しかし、「薩長だけで国の大事を決めるな。新しい日本は様々な地域の出身者の意見で重要なことを決め、欧米列強に負けない国になるべきだ」という理念がありました。
これには旧江戸幕府側の人達も賛同していきます。負けた側にも優秀な人達が多い。というか負けるとわかっていても推進していた幕府の若き優秀な官僚達が推進し、その成果を明治政府が手柄にしていった。
明治以降も実際実務を動かしていたのはほとんど佐幕派だったともいわれています。日本は階級闘争の歴史が当てはまらない。エリートが考えて社会体制を変えてきた。お上に丸投げ、思考しない民衆体質にもつながるかもしれませんが、エリートが国の為に、滅私奉公でみんなの為に働いてきた結果とも言えるかもしれません。これ日本の歴史にみられる事象です。
マルクス史観に基づく階級闘争は日本には当てはまらないんですね。
現在でも同じです。共産党などが言っている事は嘘だらけです。
弱者は利用しても助けていません。いい言葉にはご注意を。
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