2021年慶応普通部 社会⑤川と歴史②平安時代
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川の問題です。まずは古代から平安時代。回答していきましょう。
■難波宮・大津宮
この2つの都を繋いでいる川はどこでしょうか。
答えは淀川。大坂で有名な川なので回答できるかもしれません。
また、大津が近江大津であり琵琶湖のほとりにある都だったことが分かれば、地理的に回答できるかもしれません。
ここでのポイントは大津宮。
ここに遷都したのは?中大兄皇子ですね。なんでこんな奥に引っ込んだところに都を作ったのか?
これは白村江の戦いに敗れた中大兄皇子が、唐軍が攻めてきた時を想定して大阪湾に面した海近くから内陸部へ引っ越したという理由が濃厚です。
中四国瀬戸内海に面したところに多くの水城(みずき)を作っています。瀬戸内海を通って来た唐軍と戦うための城ですね。
中大兄皇子はなかなか胡散臭い天皇です。母親は皇極天皇。しかし重祚(ちょうそ)して(2回目即位して)斉明天皇になっています。皇極天皇の時にクーデターを起こし、蘇我入鹿を暗殺(乙巳の変)。母親在任中に白村江の戦いを起こし敗北。日本最初の対外敗戦です。かなりダメージが出かかった。孝徳天皇を間に挟みつつ、天皇在位中に勝手に大津宮に遷都します。そして母親が重祚し斉明天皇になった後は実権を握り、最終的に天智天皇になります。国内外ともにいろいろやらかしていますね。。この時一緒につるんでいた中臣鎌足(なかとみのかまたり)。その息子藤原不比等(ふじわらのふひと)の影響下で『日本書紀』ができている事を考えると、日本書紀の記述は本当か?と疑ってかかった方がよいでしょう。
難波宮も重要ですが、地理的に現在は大阪城の近く。当時は海沿いだったのに対して現在はもう少し内陸にあります。大阪湾もずっと埋め立てられ続けて現在がある、という地図の見方も重要です。
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