アイヌと蝦夷他 ②毛の国
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蝦夷(えみし)から始まる日本の民族の変遷。
遥か昔は縄文人が日本列島に住み着いていました。
弥生時代に渡来人が渡ってきて水田耕作を始めたとされていますが、
過去福岡県の遠賀川遺跡で水田耕作の跡が見つかったことから弥生時代が紀元前300年ごろ開始とされました。
しかしそこから日本列島に水田耕作が広まるには500年かかっています。
いい技術であればすぐに広まっていいはずなのですが、ここには自然の循環を壊し、水利と食料問題から戦争が始まるシステムだったとも言えます。
中国の歴史書『魏志倭人伝』には倭国大乱という表現がされており、弥生時代は戦争だらけの野蛮な時代でした。それを考えると食料紛争の原因になる水田耕作を拒絶し続け、山の収穫で満足するというスタイルが原日本的なスタイルと言えそうです。現に縄文時代には諏訪など多くの人口を抱えていた地域があり、縄文時代の人口集積、縄文遺跡の分布と多さ、古墳時代の古墳の大きさなどを見ていると、縄文人は弥生人の水田耕作と戦争を拒絶していたことが伺えます。
さて、問題です。古い地名で蝦夷の土地であることをうかがわせる、毛深さを伝える地名がありますがどこでしょうか。
答えは上野国、下野国です。現在の群馬県と栃木県ですね。ほとんど知られていないですが、群馬県太田市には関西の天皇陵に匹敵する規模の古墳があります。ここから当時大和朝廷に匹敵する規模の豪族がここにいたことが分かります。
また、天武天皇が壬申の乱を起こしたときは、尾張、科野、伊勢から極めて短期間に軍勢を集めています。
天智天皇の息子大海人皇子が政権を引き継いだのに朝廷に属さない軍勢がそれほどいて、天智天皇が短期間に集めてクーデターを成功させる。
考えてみると不思議ですね。東海には西側、朝廷と異なる蝦夷系の強力な勢力がいたことが伺えます。
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