アイヌと蝦夷他 ③ 蝦夷と大和朝廷
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
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歴史的に様々な場所で記述されている蝦夷。文字を持たない彼らは歴史では蛮族として描かれることはあっても、実体がなかなかわからない存在です。
大和朝廷からすると「まつろわぬ者」、つまり服従しないものとして描かれますが、まあ当たり前ですよね。外から来て自分達の土地を侵略しに来るものに黙って従おうとする者はいないでしょう。
『日本書紀』では三韓征伐など海を越えて朝鮮半島に行く記述は多く出てきますが、逆に越の国(現在の北陸)を越えて北の土地は一部を除いてほとんど出てきません。それは陸路の方が入り込みにくく容易に移動できなかったためです。海は隔たりではなく、道だったんですね。
しかし平安時代になると、大和朝廷はついに本格的に東北地方を含めた全国支配に乗り出します。
阿倍比羅夫(あべのひらふ)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)といった将軍を関東、東北へと送り出していきます。
多賀城(たがじょう)など現在でも宮城県の有名な地名ですが、この時に蝦夷討伐の為に築かれた拠点です。北関東、東北に多いですが、館(たて)という地名は軍事拠点を意味しています。
函館、下館など、地名を見ていくと当時の名残や行軍の様子が見れます。
東北の蝦夷で強かったのが阿弖流為(あてるい)。彼は強固に抵抗を示し、東北蝦夷の力を見せつけました。最終的には和睦を結ぶと言って誘い出した大和朝廷に騙いうちに遭い殺されてしまいます。
1人別の軍事力では山岳民族の蝦夷の方が強かったのですが、組織力や物資の面では大和朝廷が強かったと言えます。しかし戦略面では卑怯ですね…
この頃は貴族が軍事エリート化していった時代です。藤原氏の中からも俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)=藤原秀郷が関東で戦い、ムカデ退治などで名を馳せます。こうした勢力が土着化し、坂東平氏、東北の武家勢力へと変化していきます。
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