2021年駒場東邦中社会 ⑨幕末問題

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大政奉還の話から脱線しました笑
大政奉還を先んじて実施した徳川慶喜。もともと幕府はフランスと握って軍事制度を近代化していました。対する維新側はイギリスから新型武器を仕入れ、戦争に備えていました。
これって、欧州列強がアジアアフリカで植民地化する際にやっていた手法です。国内同士で戦わせ、両方に武器を売りつけ儲け、内戦を武器の量でコントロールし、国内を戦争でボロボロにした挙句に最終的にどちらかに勝たせる。内部に恨みを残すのでそれを利用して現地の民族を統治する。

この構造、ディバイディングルールと呼ばれるローマ時代から続くものですが、今も似ていませんか?

この時は
イギリスー薩摩藩・長州藩
フランスー徳川幕府
(ドイツー奥羽越列藩同盟)
という構図でした。

更にフランスが裏でイギリスと繋がっていることに気づいた徳川慶喜は、
「国内で内戦を起こせば日本はすぐに植民地になってしまう」
ということに気づいていました。
この視点に立てた人は当時では稀有でしょう。
現代でもこの構図を理解して幕末を見れる人は少ないのではないかと思います。日本史だけで切ると、幕府と薩長で終わってしまいます。

大政奉還。それは次世代に日本の戦力と国力を残す勇気ある決断でした。
幕府側も遅れていたわけではなく、優秀な官僚が近代化を急速に進めていました。更に徳川幕府は腐っても800万石。対する薩摩藩は60万石。(ちょっと前まで借金で赤字財政)
寄り集まったとしても徳川幕府が簡単に負ける状況ではありませんでした。

しかし敢えて政権を返上し、天皇中心の日本にする。
鳥羽伏見の戦いで逃げ帰り、その後戊辰戦争で結局日本最大の内戦を迎えてしまいますが、彼の想いと視座はなかなか理解されない物だったでしょう。

日本の内戦の禍根を最小限にとどめる。
勇気ある決断をした君主だったと思います。