2021年早稲田中 社会②より 短文問題

どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家レベルの社会を楽しく学びましょう。

秋も深まり冬が近づいてまいりました。
受験の季節ですね。
まだまだ一日一日伸びます。同時に一通り全部やって復習と定着期に入っていきます。歴旅はそろそろ想定問題集を作成しようと思います。
今年のポイントは…

さて、今日は早稲田中。結構堅実な問題なのできちんと正解を取っていくことが肝心です。

–quote——————————————————————–
A この人物は、鎌倉幕府が(あ)上皇と争った承久の乱の後に京都に設置した(い)探題の初代です。のちに執権となり、評定衆を置いて幕府の政治に合議制を取り入れたほか、1232年には御成敗式目を制定しました。

B この人物は彦根藩主であり、幕府の大老を務めて天皇の許可を得ないまま日米修好通商条約の調印に踏み切りました。(う)
5年から6年にかけて、これに反対する大名や志士を一斉に弾圧しましたが、かえって江戸城桜田門外で襲撃され、殺害されました。

C  この人物は1960~70年代に総理大臣を務め、安倍晋三に抜かれるまで戦後最長の政権でした。(え)条約に調印して隣国との国交正常化に成功しました。また在任期間は高度経済成長期と重なり、日本経済が大きく発展しました。

D この人物は学者や漢詩の名手としても知られ、平安中期に天皇に取り立てられて右大臣にまで登りました。遣唐使の停止を建議したことでも知られています。しかし後に藤原氏との政争に敗れ、(お)の長官代理に左遷されました。
E この人物は豊前中津藩士の家に生まれ、大阪で蘭学を学び、幕末にアメリカやヨーロッパに渡りました。帰国後は西洋の様子や思想を紹介する著作を残しました。また、のちに有名な大学となる私塾を創設したことでも知られています。

F この人物は元禄年間に弟子と共に東北・北陸地方を旅して、紀行文『奥の細道』をまとめました。奥州藤原氏の本拠地であった(か)では、「夏草や兵どもが夢の跡」という句を詠みました。
–unquote——————————————————————–

引用だけで長くなりました。
まずまず簡単ですね。基礎問題と言えます。