思考問題 どうする幕末④
どうも。歴旅です。今日もぶらりと歴史旅。
中学受験、御三家の社会を楽しく学びましょう。
幕末問題、どうだったでしょうか?
簡単な問題もあれば、難問もあったかと思います。
明治、近現代と過去問を見ていると結構難しい単語問題も出てきていますね。
なので順当なレベルだったかと思います。
過去①~③の問題文はいかがだったでしょうか?
教科書だけの因果関係とは少し違ったのではないでしょうか。
これをベースに問題です。文字数はまとめる力があった方がいいのですが、
今回は自由記述にします。
問1.鎖国とはどのような状態を意味しているか。
問2.徳川幕府の立場で答えてください。ペリー来航前、欧州、アジアの情勢をどのようにみていたでしょうか。文中の有無を問わず回答してください。
問3.維新政府軍は何のために戦争を起こしたでしょうか。
文中の有無を問わず回答してください。
さて、今回明確な答えはないのですが、考え方、方針、切口が重要になってきます。どんな観点で何を考えるか、ができればよいと思います。
まず問1の鎖国について。こちらは比較的簡単ですね。日本は江戸時代鎖国していたといわれています。それは長崎の平戸に取引場所を制限し、中国とオランダの2か国のみと貿易をしていたからです。回答としてはこれでよいですが、実際はどうだったでしょうか。
今回の設問からは、
①情報面で鎖国していたか?
②通商面で鎖国していたか?
の2点が検討できればよいかと思います。
まず情報面について、江戸時代に蘭学が発展していったのは教科書にも載っていますね。これらの情報は細々とでも江戸時代にずっと入ってきていました。薩摩藩や佐倉藩の殿様は蘭癖と呼ばれるくらい西洋学問を取り入れ研究していました。佐倉藩は今の順天堂大学に繋がる医療の最先端地域でもありました。平賀源内などエレキテルを使ったり、機械仕掛けの人形なども存在しており、関孝和など代数幾何を研究した和算の大家もいた。18世紀まで日本も西洋と変わらない科学、技術があったと言えます。差がついたのは産業革命以降になります。欧州情報も取り入れつつ、民間独自でもあらゆる技術を研究し、内製化していきました。鎖国していないですね。
次に通商面ですが、中国とオランダに絞って通商していました。当時の中国清朝は圧倒的な世界の大国。オランダも17世紀世界の貿易覇権を握っていました。正直この2か国だけで十分、という状況でしょう。戦国時代にスペイン・ポルトガルは宣教師を送り込んで植民地化しようとしてきました。遅れてくるイギリス、フランスも産業革命以降ではありますが同様です。オランダは世界最強の東インド会社を持ち、インドネシアなど一部植民地を持っているのは同様ですが日本に対して干渉してきませんでした。完全に鎖国していたわけでもないし、通商もし、中国には田沼意次(たぬまおきつぐ)の時代にもナマコなど俵物を売って稼いでいます。鎖国していないですね。
答え:
問1.通商関係を中国とオランダに絞り、長崎のみで取引していた状態。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません